ここは新潟でボードゲームを楽しむ人達のための集会所です。

2006/04123456789101112131415161718192021222324252627282930312006/08

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 今まであまり深く考えたこともないテ-マですが、今回はボ-ドゲ-ムと賭けの関係についての話です。

 我々が普段ボ-ドゲ-ムをプレイする時に、何かを賭けてプレイすることは極めて稀で、ジュ-スや食事代を敗者が奢るなんてケ-スもほとんどお目にかかったことがありません。

 その一方で、学生時代に友人らとトランプや麻雀を楽しんだ時は、少額ながらお金を賭けたり、ちょっとした品物(それこそ晩御飯とか)を賭けて勝負をしていた記憶があります。

 もともと「賭博」とは「ゲ-ムに賭ける」という意味ですから、(ボ-ド)ゲ-ムと賭けるという行為との相性は必ずしも悪くないものだということは容易に想像がつくのですが、前述のとおり、今までずっとこの趣味を続けてきて、何かを賭けてボ-ドゲ-ムをプレイする機会などは全くと言ってよいほどありませんでした。

 何故皆ボ-ドゲ-ムでは賭けないのか?逆に言えば、何故ボ-ドゲ-ムにおいては賭ける必要がないのか?について考察するのは、これはなかなか面白そうです。

 人は何故賭けるのか?。この哲学的なテ-マについて考える前に、まず「賭け」とギャンブルとの相違点については軽く触れる必要があるかもしれませんね。

 ギャンブルとは、一般的に一攫千金を狙い、少ない投資で莫大な利益を狙う勝負事のことで、この場合の「賭け」とは少しニュアンスが異なります。そこに存在するのは極めてリアルなビジネスライクな思考で、勝負する対象は基本的に自分です。自分自身の頭で考え、自分自身の判断で行動し、自己責任のもとにリスク管理をする。

 それに比べてゲ-ム上の賭けはこれは必ず相手が存在します。自分が勝った場合は相手が負けたことを意味し、その逆もまたしかりです。また最初から賭けの対象となる総数は決まっているのが常で、それを全員で奪い合う形式が一般的ですから、射幸心みたいなものはさほど刺激されません。

 ですから、いわゆるギャンブル(カジノ)系ゲ-ム(ル-レット、ポ-カ-、麻雀、手本引きなどなど)は、これはほぼ間違いなく「賭け」た方がゲ-ムとしては面白いでしょう。もともと「賭ける」ことを前提にデザインされてますし、実際命の次に大事な「お金」を賭けるという行為の魔力を感じ取ることで、はじめて得られる興奮や趣といったものは非常に大きいと思います。

 それとは逆に、普通のドイツゲ-ムを代表とする卓上ゲ-ムに関しては、もともと賭けることを前提にデザインはされてません。従って必ずしも「賭ける」ことが、その作品の魅力を増す仕組みにはなっていないといえるでしょう。まずこの点が普段我々がボ-ドゲ-ムをする際に賭けない理由の1つとして挙げても良さそうですね。

 次に、話は立ち戻って、では何故人は「賭ける」のか?について考えてみると、これは(ギャンブル系の作品を除いた場合には)恐らく「賭けた方がより真剣にプレイするから」だと思います。もし負ければ何かを失うというリスクは、それだけプレイヤ-に勝利を目指すモチベ-ションを与え、また緊迫したセッションを演出する効果もあるでしょう。

 また、実際に何かを得る(失う)といった現象は、実際に勝利したときの喜びや、負けた時の悔しさを増幅する効果もあります。たかがゲ-ムなんだからという言い訳を許さない。結果として1つ1つの勝負の重みが増すことになると思います。

 ここまでくれば、おおよその答えはおぼろげながら見えてきますね。

 普段我々がボ-ドゲ-ムをプレイする際に賭けないのは、そういった「真剣にプレイする」という部分や、「勝った時の喜びや負けた時の悔しさ」といった部分を、たとえ賭けなくても十分に感じ取って楽しめているからだといえるでしょう。

 「賭けない」ボ-ドゲ-ムでは、勝者が得られるものはあくまでも勝負に勝ったという事実のみですが、そこに向かってみんなで真剣に競い合うことができるからこそ、まさに文化として素晴らしい側面があるのだと私は思います。

 大体において、実際に何かものを賭けてしまうと、緊迫の度合いが強くなりすぎて雰囲気が殺伐としてしまったり、ある意味でプレイヤ-の自由奔放な戦略の選択が阻害されてしまうこともあるので、必ずしも「賭け」がゲ-ムに対して良い影響面ばかり与えないともいえるかもしれません(金銭関係でこじれたりしたら、せっかくの友情にもヒビが入りそうですし^^;)。

賭けるものは己のプライドだけ!

 こういう暗黙の了解に縛られた状況こそ、ボ-ドゲ-ムの最も本質的な部分であり、魅力であると私は常々思ってます。

たかがゲ-ム、されどゲ-ム。

 1つ1つのセッションを真剣に、また100%本気で楽しめるからこそ、我々が楽しむボ-ドゲ-ムには賭けは不要なんでしょうね。

 昨今勝ち負けよりも場の雰囲気や、ゲ-ム展開の面白さばかりを重視・優先する向きがありますが、これは賭けないことの弊害といわれても仕方がありません。

 賭けない麻雀がなぜつまらないのかといえば、それは危険なハイがバンバン捨てられるからで、そこには本来存在すべき危険ハイを察知する洞察、あえてそれを切る勇気、止める勇気、自分の手の状態との判断などありとあらゆる麻雀というゲ-ムのオモシロ要素が一気に吹き飛んでしまうからです。

 ※ちなみに競技麻雀は、それ自体で存在価値があると思います(私も好きです)。プレイヤ-は前述のように自身のプライドを賭けて戦うわけですから、賭けない麻雀とは必ずしも同義ではないといえるでしょう。

 ボ-ドゲ-ムでも同じことがいえるでしょう(すべてのボ-ドゲ-ムがそうだとは思いませんが)。真剣にプレイしないことで失われるオモシロ要素は計り知れません。

 私はボ-ドゲ-ムにおいてはプライド以外のものを賭ける必要はほとんどないと考えますが、逆にいえばプライドだけは絶対に賭けたい。一度卓に付いたからには、真剣に相手と勝負したい!と考え、常にそのようにプレイをしています。

 たとえそのことでセッションの間中ずっと緊張することになったとしても、それはゲ-ムが終わればすぐさま心地よい解放感が癒してくれます。是非このような「心を賭ける」という文化を、この趣味を通じて広めていきたいものです。byタカハシ

※追加になりますが、「賭けが成立しない理由」としては、プレイヤ-間で公平さが保てないというのも重要な指摘として考えられると思います。すなわち何かのゲ-ムを対象にしてそこに「賭け」が成立するには、参加するプレイヤ-は全員がある程度の熟練度で同程度である必要があるといえるでしょう。様々な理由によって、新規のボ-ドゲ-ムではこれが成立しづらいことも、ボ-ドゲ-ムでは「賭け」が成立しづらい大きな理由の1つなのではないでしょうか?
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://nbgc.blog63.fc2.com/tb.php/471-4005333f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。