ここは新潟でボードゲームを楽しむ人達のための集会所です。

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 お恥ずかしいことに、私は長年この趣味を続けていながら、ドイツの文化というものをほとんど知りません。ドイツに旅行に行ったこともないですし、ドイツ人の知り合いも特にいません(間接的には何人かいますけど)。

 学生の時には必修の第二外国語でドイツ語を選択しておりましたが(一応選択制のドイツ語Ⅱまでも履修しました^^;)、担当の教授の方針が「ドイツ語会話」に重点を置く人だったので、文法はおろか男性名詞・女性名詞の区分すらもうほとんど忘れちゃいました(笑)。

 ですから、普段慣れ親しんでいる(ドイツの)ボ-ドゲ-ムというものの文化的な背景は、いろいろな書物を読んだり、実際にドイツの文化を知る人に直接聞いて想像する以外には知りようがありません(やはりこの辺はおのさんの得意分野かも!?)。

 従って、そんな私が想像するドイツの(ドイツ人の)文化は必ずしも正確なものではないのかもしれませんが、今までの経験(大学の講義やその過程で知り合ったドイツ留学生との会話、様々な紀行文での知識)に照らし合わせると一言でいえば

「非常に思慮深い人種」

 であるといえます。

 ドイツ人は何かの物事(事象)に対して、とにかく考える。徹底的に議論するのが好きで、考えることがすなわち美徳であるととらえている節すら感じられます。

 そういや日本の文豪、稀代のギャンブラ-作家でもある浅田次郎氏が、ドイツのカジノへ旅行に行った際に、ル-レットの出目に対してものすごいデ-タ表を握りしめてるドイツ人から無理やり1月分のデータを渡されそうになって辟易する、というとても愉快なエピソ-ドを今思い出しました(浅田次郎 著『カッシ-ノ』)。

 なるほど、しかしそう考えると、普段我々が愛してやまないドイツゲ-ムのシステムのエレガントさ、重厚さの理由はこの辺りに源流があるのかなという想像は容易にできますね。

 私のボドゲライフの盟友スギハラに言わせれば、ドイツゲ-ムは日本の過去のボ-ドゲ-ムよりも1歩先にあるイメ-ジなのだそうで、『人生ゲ-ム』も『おばけ屋敷ゲ-ム』も確かに面白かったけど、単にル-レットを回して駒を進めるってのは、もうドイツゲ-ムを知った後では過去のものになってしまうそうです。

 ということで、もともと舶来嗜好が非常に強い彼ですが、普段私や彼があまり国産ゲ-ムを遊ばない理由は、そういう国民性や文化の違いという意外と深い部分に要因があるのかもしれないなぁと感じてしまいました(最も、ここ最近の国産ゲ-ムのレベルは非常に高まってきてますから、決して侮れないのは事実なのですが・・・)。

※余談ですが、そんな理由で彼は戦闘解決がサイコロの出目で決まる、いわゆる「ウォ-ゲ-ム」が大の苦手です。私なんかは「ウォ-ゲ-ム」の面白さの醍醐味は「ユニットの配置の妙」にあると思ってますので、戦闘の解決はあくまでも2次的なものとして評価してますが、やはり彼的には結局はサイコロの目で決まるという部分がダイレクトすぎて、やはり時代遅れのゲームように思えて嫌なんだそうです(まぁ気持ちはなんとなくわかりますけど)。

 普段私たちが不満に思う世間一般の意見(偏見)に

「(ボード)ゲームなんて、大の大人がするものじゃない!」

 というものがあります。先の「ボ-ドゲ-マ-に100の質問」でも、ボ-ドゲ-ムの発展を阻害するものの理由にコレを挙げた方も少なくないでしょう(以前のときもこの意見は結構ありましたからね)。実際にドイツゲ-ムのレベルの高さを知れば、それが低年齢を対象とした子供向けゲ-ムであっても、しっかりとした考えるポイントが用意されていたり、ましてやフリ-ク向けに至っては「知的遊戯」として認知されても可笑しくないレベルのものが山ほどありますから、我々マニアが「それは偏見だ!」と思うのはこれは至極当然といえます。

 しかし、やはりわが国では「ゲ-ム」というものを1段下に見る文化が、すでに根付いてしまっているのもまた事実といえるのではないでしょうか。マジメニコツコツが信条の日本では、「遊び」というものを軽視する空気は確かに感じられます。

 そして、つい最近スギハラにも指摘されたのですが、私自身の常日頃の「ヘビ-ゲ-ム」だの、「ライトゲ-ム」だのいうくだらない苦悩は、「ゲ-ム」という言葉の捉え方が、国内と国外における文化の違いにその原因があるのではないか?と考えるようになりました。

 つまり、彼に言わせれば、海外で「ゲ-ム」といえば、単に「遊戯」としてではなくスポ-ツの「試合」のようなニュアンスが含まれるのに対し、日本ではあくまでも「遊戯」の枠内にとどまる傾向が強く、その枠内からはなかなか外に出てこないから、(「試合」傾向の強い)お前はアレコレ悩むんだよというのですが、確かに私もそれは一理ある気がします。

 特に最近の日本国内におけるドイツゲ-ムの消費(紹介)のされ方を見ると、なにやらかつてのドイツゲ-ムが内包していた「重厚さ」みたいな部分は、だんだんと軽視されていっているようにも感じ取れます。

 例えば(あまり蒸し返したくは無いですが^^;)、私が当ブログや某所でボロクソにこき下ろした『ピッグ10』という作品は、私の中では「もうちょっとこれは子供向け過ぎるよね?」的な、それこそスギハラ風にいえば「1世代前の作品」みたいな部分があったのですが、日本では非常に多くの「大人の」方に楽しまれたようで、売れ行きもかなり好調のようです。

 全くもって私の選球眼のなさを露呈したわけですが(笑)、一方で海外ではきちんと「子供向け」として認知され、ゲーマーにはさほど高く評価されていないことを思うと、やはりなぜ今この作品が国内でこれほど評価されたのだろうか?という複雑な思いは残ります。

 もちろん私は別にそれ自体を悪いことだというつもりはありません。もともと扱っている対象は「文化」なのですから、国が違えば当然その扱い方も変化しますし、我々の国でドイツゲ-ムの存在意義がそのように変化していったのであれば、それは日本という国民性に照らし合わせてしかるべき良い変化なのだとも思います(むろんそういう国民性に合った素晴らしい作品を見抜けなかった私自身の鈍さの証拠とももいえるでしょう)。

 ただし、もし仮にそのように変化したのであれば、やはり先ほどの偏見とは、これからも末永く戦い続ける(あるいは共存し続ける)宿命にあるともいえるのではないでしょうか(これはちょっとしたジレンマかもしれませんね)。

「文化がちがぁ~う!」

 私が好きなマンガ「ヒストリエ」の中で、主人公エウメネスが、異国での人々との笑いのポイントの違いにおもわず口にするセリフです。

 異国の文化を自国の文化に合わせようとした場合、それがどのような方向性を持ち始めるのかは誰にもわかりません。もしかしたらそこからさらに素晴らしい文化が生まれるのかもしれませんし、結局は定着しないまま廃れる運命にあるのかもしれません。

 ただ一つ言えるのは、もともとの文化をある程度は知る必要があるという点です。

 情報化社会の発展に伴い、一気に情報入手率が高まった現在においては、こと文化をあつかう趣味に関してはかなりボ-ダレスな感じになってます。

何故その文化は素晴らしいのか?


その文化をどう消費すべきなのか?

 たまにはそういったところまで立ち戻ってみるのも一考なのではないでしょうか。byタカハシ
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