ここは新潟でボードゲームを楽しむ人達のための集会所です。

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「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格がない」

 というのは、ハードボイルド小説の巨匠レイモンド・チャンドラ-の傑作『プレイバック』における探偵フィリップ・マ-ロウの有名なセリフ。

 ちなみに

「エロでなければ生きていけない、萌えがなければ生きてる資格がない」

 というのはバネスト中野さんのセリフ(笑)。

 さて今回はボ-ドゲ-ムにおける「楽しい」と「面白い」の違いについての話です。

 先日普段はあまりボードゲ-ムを遊ばない友人と談笑したときに、とても印象深かい意見を聞かされました。それは、

「最近の連中ってのは、基本なんでも楽しくないと興味を示さないんだよね」

 というものです。
 
 ちょうどボ-ドゲ-ム界の現状(まぁ色々とあれです^^;)についての話の最中だったので、う~ん、なるほどなぁ~と暫しの間考えさせられました。

 また続けて彼は

「今の奴らは、ほとんど人生に敗北感を感じてる奴らばっかりだから、基本的に負けることに対して抵抗力がないんだよね。ゲ-ムとか、デジタルでもアナログでもそうだけど、あまり勝ち負けをはっきりさせられることが苦手なんだと思う」

 ともいってました。

 さすがにほとんどの人達が人生に敗北感を抱えながら生きているとまでは思いませんけど、確かにわざわざ趣味の世界にまで勝負事を持ち込みたくないって思う気持ちは分からなくもないです。勝負事はリアル社会で十分ということなのでしょう。

 実際、その友人にはたまに私のボ-ドゲ-ムを貸してあげたりもするのですが、どうも仲間内でそれらを遊んだりすると、いわゆる「モラルハザ-ド」が発生するケースがあるのだそうです。もう勝てないってことが判明したり、自分が建てた作戦が失敗したりすると、勝負というものを度外視してメチャクチャなプレ-に走るプレイヤ-がいて、ゲ-ム自体が成立しなくなってしまう。「さすがにそれはちょっと酷いから止めようぜ?」と提案しても、「ん?何で?面白いからいいじゃん♪」という答えが返ってきて、もう二度とそいつとはボドゲは遊べないなぁ~という感じになってしまうのだそうです(まぁ話はだいぶ大きくなっている気もしますが^^;)。

 確かに、この話は極端なケースだとは思いますが、でも根本にある問題は意外と深いものなのではないでしょうか?

 つまり、「楽しさ」を優先するか、「面白さ」を優先するかという問題です。

 「楽しい」と「面白い」は似て非なるものです。前者は「愉快な気分になる」とか、「気分が高揚する」、「テンションが上がる」みたいな感じであるのに対して、後者はどちらかというと静かにその「魅力を感じ取る」、「趣に感慨にふける」というような、ある意味「動と静」みたいな関係があるといえるでしょう。

 また「楽しい」の反対語は「苦しい」ですし、「面白い」の反対語は「つまらない(くだらない)」ですから、やはり両者のニュアンスはだいぶ異なります。

 普段私たちが親しんでいる「ボ-ドゲ-ム」というものは、基本的には「楽しい」ものではありません(あくまでも「基本的には」です)。むしろ色々な作戦を練ったり、相手の思考の裏を読まなければならなかったりしますので、逆に「苦しい」ことの方が多かったりもします。

 でも、私たちはそれを決して「つまらない」とは感じません。これは何故でしょうか?
 
 つまるところ、私はどこかの時点で大なり小なり「苦しい」が「面白い」に転換しているのだと思います。でもいったいそれがどの時点でおこなわれているのか?その答えを明確に導き出すのは非常に困難です。個人個人の好みの問題もありますし、そもそもこういう作業が嫌いな人もいますからね(前述の友人の仲間などはこのタイプなのでしょう)。

 ですが、この転換ポイントをうまく表現できる(デザインできる)デザイナ-は、結果として高い評価を得ることになりますし(「クニツィアジレンマ」などはその最たる例といえます)、その作品は多くのファンに愛されることになるといえるでしょう。

 結局、私たちが「ボ-ドゲ-ム」に求めているものって何なんでしょう?

 「『カタンの開拓者』を遊んでもさ、楽しくはないよね?脳汁ドバドバ出るわけじゃないし。でもさ、「これは面白い!」ってのは何故か分かるよね~」

 という友人の意見は、非常に端的にこの問題の核心を突いている気がします。

 確かにプロの棋士などは、毎回の試合が「楽しい」ってことはありえないはずなのに、まさに人生をそこに捧げるくらいですから、「苦しさ」と「面白さ」が1つの作品の中に共生していることは、これは確かな真理なのだと思います。

 ですから、もし仮に「苦しさ」を「面白さ」に転換させることが、「ボ-ドゲ-ム」の最たる魅力であるとするならば、「苦しさ」の対極にある「楽しさ」という部分は、強烈なスパイスになりこそすれ、素材そのものにはなりえないものなのかもしれないという仮説もたてられるでしょう。

 ただ、しかし一方で「コミュニケ-ションツール」として「ボードゲ-ム」を捉えた場合には、「楽しさ」が全くないものというのは、これは趣味としては非常に価値が低いものとして捉えられても仕方がないかなという気もします。「仲間同士で遊ぶもの」である以上は、「楽しさ」というものは必要不可欠の存在であるといえるのではないでしょうか(たとえば全くテ-マ性のない「アブストラクト」作品などは、やはりその「楽しさ」がない分だけ、いわゆる「一般受け」するには苦労している部分が多いと思います)。

ボ-ドゲ-ムにおける苦しさとは何か?

 これは本当に難しい問題だと思います。

皆さんの中での「苦しさ」って何ですか?

 結局結論からいえば、「楽しさ」と「面白さ」の両方を兼ね備えている作品というのが一番魅力的ということになるのでしょうけど、今回は少しそのあたり掘り下げて、「苦しさ」と「面白さ」の関係についてまで少し考えてみました。

 冒頭に戻って

「楽しくなければボ-ドゲ-ムではない、面白くなければボ-ドゲ-ムである資格がない」

 さらにいえば

「楽しくなければボ-ドゲ-ムではない、苦しくなければボ-ドゲ-ムである資格がない」

 ここまでいえるのかは正直良くわかりませんが、少なくても私はそんな風に思ったりしました。この問題についてはもう少し自分なりに深く考えてみたいと思います。byタカハシ
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