ここは新潟でボードゲームを楽しむ人達のための集会所です。

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第62回NBGC月例会の開催します。


日時:4月28日(


第2回ファンタジーゲーム会


場所:新津地域交流センター

時間:午前10時~午後8時半

会費:300円(初回は無料)
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 今回はコラムではなくショートショートです。

 実際にはありえないけど、ボードゲームを遊ぶ際に、もしもこういったものが無かったらどうしよう・・・という単なるネタ話。

 なんか昭和のドリフみたいですね(古っ^^;)。

1.もしもボードが無かったら

 カードゲームがあるだろう?みたいな答えはつまらない。

 イメージでボードを想像しながら、仮にコマを置いてみようではないか。大体この辺で・・・たしかこの辺は自分の陣地だったはず・・・。

 おやおや頑張ればもしかしたらゲームが成立するかも?

 ところであなたの点数は今何点?

2.もしもテーブルがなかったら

 いやいや床の上でもボードゲームは遊べますよ。

 そもそも昔『人生ゲーム』とかは床置きで遊んでいたではありませんか。

 なんならライブ(野外)でも大丈夫!

 あぁ~私の手札や所持金(お札)が風で飛んでいゆく~><

3.もしも色がなかったら

 困りましたねぇ~。

 ちょっとアナタ!それは私のコマですよ!!

 もうどれがどれだか分からなくなってしまった。あれ?『コロレット』なんかはカードを取ればとるだけ失点じゃないですか(笑)。

 「色」がなくても成立するゲーム(ワードゲームやアクション系の作品)もたくさん存在するので、おとなしくそういう作品を遊ぼう。

4.もしも対戦相手がいなかったら

 ボードゲームを趣味にする以上。同好の人々はもはや運命共同体。なくてはならない存在で、ある意味恋人みたいなものだ。

 一人で『バックギャモンボード』を動かすには、人生はあまりにも長い・・・

 ソロプレイの楽しさももちろんあるが、こうなったら人工知能でも開発して、むりやり相手を作り出す以外にないか!?

5.もしも休日がなかったら

 平日に遊べばよい。ボードゲーマーなら「有給」をゲームために使うのは当たり前(嘘)。

 ただそれだけのこと。

 でも平日だとなかなか予定が合わないんだよな><

6.もしもインターネットがなかったら

 いろんな場所で、いろんな作品が遊ばれ、もしかしたら今よりも更に豊かな文化が生まれるのかもしれない。

 しかしその一方で、仲間同士が集まるのが難しくなり、また普及も思うように進まないだろう。

 今現在私たちが簡単に得られる情報が、本来はどのように苦労して得られるべきものなのかを再確認するのは、実はとても重要なことだ。

7.もしも会話がなかったら

A「・・・・・」

B「・・・・・・・・」

A「・・・・・・・・・・・」

C「・・・・・・・・・・・・・・」

 今誰の手番?

8.もしもボードゲームショップがなかったら

 きっと個人輸入をするだろう。

 昔に比べたら、いまではかなり簡単に(個人輸入が)できる時代になった。ルール訳は自力で頑張るか、ネットのどこかに公開されるのを期待しよう。

 もっと頑張る人は自分でお店を作るかもしれない。

 きっと繁盛するだろう♪

9.もしもゲーム終了条件がなかったら

 何これ凄く面白いゲームだね!!

 暫くすると、誰かが気づく。

 「誰だ!こんなゲームを遊ぼうっていったのは!」

10.もしも笑いがなかったら

 そんなものはボードゲームではない。

 セッションが始まる前、最中、そして終わった後。

 そのいずれか(あるいは全部)に「笑い」があって欲しい。

 決して大笑いでなくて良いから、少しでも笑顔を増やせるツールであって欲しい。
 昨日遂に、待ちに待った『スペースアラート』の日本語版が手元に届きました。

 『スペースアラート』とは、鬼才ブラーダ・フヴァチルという今現在私自身が最も信頼し注目しているデザイナーが、数年前に発表した「協力型アクションボードゲーム」でして、「デジタルな音源を用いる」という革新的な手法を見事にボードゲームと融合させ、海外では非常に高い評価を得た作品だったのですが、いかんせん我が国内では流通経路には乗ったものの、やはり言語依存の高さや、音源を用意するという手間の問題があったりして、なかなか日の目を見なかった作品でもあります。

 しかし、作品自体が持つ元々のポテンシャルの高さを惜しむ有志が立ち上がり、言語依存の壁をぶち破るべくニューゲームズオーダーの沢田さんを中心に、「日本語版」の制作をします。とアナウンスされたのは昨年のことでした。

 そしてその日本語版を製作する手法に関しては、これまたフヴァチルに負けず劣らず画期的なものでして、この試みに賛同していただける有志を募り、日本語版制作に向けての出資金を集めるというものでした。

 結果、予想を上回る勢いで有志が集まり、これまた(失礼ながら)私の予想をはるかに上回るスピードで今回の日本語版の配送に至ってます。

 私自身もこの試みを聞いた瞬間、「その心意気や良し!」とすぐに賛同させていただいたのは言うまでもありませんが、同じように「良い作品を世に送り出せるなら、喜んで協力します」という快い気持ちを抱いてくれた同士が、日本全国にたくさんいらっしゃるということを非常に嬉しく感じたのを覚えてます。

 今回は、ささやかですが「海外版」との比較をレポートします。一般発売もされるでしょうから、一人でもこの作品に興味を持っていただける人が増えることを願っております。

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 外箱はほとんど一緒です。『アグリコラ』がそうであったように、妙に色合いが薄くなったとか、そういったことは一切ありません。また個人的な評価ですが、タイトルが日本語でデカデカと『スペースアラート』にならなくて良かったと思っております(これは完全に好き嫌いの問題ですね^^;)。ちなみに見比べるなら本当は裏面の方が良かったですね(反省)。かなりきっちり「日本語化」されてます。なんとプレイ中の写真のカードまでも(お見事)♪

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 これが海外版のルールブックと付属CDです。

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 日本語版ではCDが1枚になりました。ルールブックは見事なまでに「日本語化」されてます。ちなみにルールブックがやたら読みづらいのはフヴァチルのデフォです(爆)。日本語化云々に責任はございません^^:

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 ボードに関しては全く一緒です。これまた特に「海外版」と比べて色合いが変化しているといったようなこともありません。

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 やはり素晴らしいのはカードですね。元々ピッタリなスリーブがなかったのと、雰囲気が壊れそうだったのでタックスシールを貼らずにおりましたが、今後は安心して「日本語化されたカード」を使用できます。ちなみにさっと見た感じ、今のところ特にエラッタはなさそうです(まだ注意深くは検証しておりませんが)。

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 一番の特徴はコレですかね。キューブが変更されてます。左が「海外版」で、右が「日本語版」です。特にどちらを使用しても問題なさそうですし、「日本語版」の方が雰囲気ありますが、プレイアビリティ的には若干「海外版」の方が視認性が良さそうな感じも。まぁこれくらいの差であればあとは好みの問題で、大勢に影響はない差ですね。

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 シナリオカードももちろん「日本語化」されてます(何故かサイズが小さくなってますが^^;)。これがあれば最悪CDなしでも遊べるわけです(その場合シナリオを読む人の相当な演技力が要求されますけどw)。

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 内箱の側面には、今回の企画に賛同して「名入り協賛」をしてくださった方々へのスペシャルサンクスが。こういう粋な計らいも嬉しいですね♪おっと、箱の裏側の写真ありましたね(これだといまいち良く分かりませんけど><)

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 当サークルの名前も、もちろん刻まれてます(並び順が良く分かりませんが、結構最初の方でしかもおのさんとこのTGiWのすぐ前で恐縮です^^;)。

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 とりあえず、サクッとカードとボードとキューブを入れ替えて終了(ついでに「海外版」を購入した際のバネストさんの訳も、これはこれで便利なので入れておきます)。今後プレイ機会が増えると良いなぁ~♪

 ということで、今回の企画は大変素晴らしかったと。それだけは間違いなく断言できますね。

1.(言語依存の問題から)日本語化する意義があった。

2.大勢の有志による日本語化だった。

3.素晴らしい作品に光を当てようという気概があった。

 この3点だけでも既に立派なのですが、なにより企画者の沢田さんの対応が素晴らしかったですね。進捗状況を常にメールで教えてくれたり、また完成までに至るそのスピード感たるや大したものです。きっと私たちには見えない部分でだいぶ苦労されたのだとは思いますが、とにもかくにもただただ感謝の言葉を贈らせていただきます。
 
 今回の「日本語化」は少し特殊な形態で進んだわけですが、それだけに私の中では単なる「日本語版」の入手ではなく、くさいセリフですけど日本中のボドゲファンと、どこか少しだけ繋がったような、ちょっとした感慨深さみたいなものを感じさせていただきました。この企画を成立させてくだっさった皆様、本当にありがとうございました。byタカハシ
 将棋や囲碁、海外ですとそれは主にチェスとかになるのでしょうか、いわゆる「対戦型」と呼ばれる1対1の作品に比べて、一般的なドイツゲームは3人以上のプレイヤーを対象としているケースが多く、またそれが1つの大きな(魅力的な)特徴でもあるのですが、ある作品が複数人で遊ばれることを前提とした場合、ごくまれに「適正人数」という概念が発生します。

 いわく、この作品に関しては「3人プレイが望ましい」とか、「最低でも4人以上でのプレイを推奨」とか、箱の表示には○人~○人までと記載されていても、実際には必ずしもそこまでの幅が無かったりするケースがあります。

 例えば、3すくみの状態が非常に歪な状況を生む作品。具体的には一方のプレイヤーが他方のプレイヤーを攻撃した場合(あるいは積極的に行動したような場合)に、残りのプレイヤーが漁夫の利的に大きなアドバンテージを得てしまうようなケースは、結果としてお互いに激しく牽制しあうような環境となってしまい、バランスが悪いと評価されるケースがあります。

 また、良くある別の例としては、人数が少数の場合にプレイヤーの自由度があまりにも高すぎた結果、非常に大味な展開や運ゲームになってしまうケースや、逆に人数が多すぎた場合に、プレイヤー間のインタラクションが煩雑すぎて、これまたゲーム本来のポテンシャルが引き出されないケースなどもあります。

 もちろん箱にプレイ人数を記載するわけですから、ある程度のテストプレイが重ねられた上でのそれだということは当然なのですが、中には「単にその人数でプレイできる(可能)」というシンプルな意味しか込められておらず、実際にはその人数でのプレイでは、あまり作品の面白さを堪能することができないという事実が存在する場合があります。

 そうすると、では一体どんな問題が生ずるのか。

 まず最初に考えられるのは

「適正人数でのプレイに拘るプレイヤーが現れる」

 というものが挙げられるでしょう。

 それまでのレビューや巷での評判等から、「この作品はもう○人プレイ専用ゲーム」という固定概念に縛られるプレイヤーが現れる結果、それ以外の人数でのセッションの成立する可能性が激減するケースが考えられます。各種のオープンな例会等である作品にリクエストがかかった場合、仮に4人のプレイヤーがプレイの希望を出しても、それが3人プレイや5人プレイを推奨する作品であった場合に、適正人数ではないからという理由でそのセッションが成立しないケースも考えられます。

 私個人の意見としては、「適正な人数(と思われるもの)」を事前に告知することは、決して悪いことであるとは考えておりません。むしろ楽しいセッションを成立させるためには非常に有用な情報であるとすら思います。しかしその一方で、適正人数でないからといって1つの作品のセッションを不成立にするということが正しいことかどうかに関しては、ケースバイケースで判断すべき事項だと思います。

 その時のメンバーの状況、他の候補作との比較等も含めて、その作品が○人までプレイ可能であるのであれば、その「~まで可能」という部分を尊重するというのも1つの方法ですし、また逆に思い切って尊重しないのも1つの方法だと思います。いずれにせよ一番重要なのは「適正人数じゃないからきっとつまらないだろう」という安易なフィルター(先入観)を最初からかけるべきではないということでしょうね。

 次に考えられるのは

「適正人数以外でのプレイのみで終わってしまう」

 というものです。

 昨今のノンリプレイ主義の蔓延に伴って、最初のプレイが実は適正と言われる人数でのセッションではなかったような場合。その作品に対する印象があまり良くないまま記憶に残ってしまった結果、早々に「この作品はあまり面白くない」という結論に到達してしまって、そのままリプレイの可能性が閉ざされてしまうケースが考えられます。

 不思議なことにドイツゲームというものは実に様々な表情を持ってます。その時の面子、(精神面も含めた)体調、あるいはロケーションみたいなものも含めて、同じセッションは2つとありません。そのどれもに独自の面白さが必ず存在し、我々ファンを魅了し続けます。

 そしてその表情の変化の1つに、プレイ人数の変化も挙げられるわけです。実際にプレイ人数が変わっただけで面白さが劇的に増すような作品に、私自身過去に何度も遭遇してきました(たまぁ~に運悪く逆のケースもありますけどね^^;)。

 普段多くの作品に触れていると、たまに「これはちょっとどうなんだろう?」という作品に遭遇することがありますが、そういう場合には、私はまず「もしプレイ人数が変化した場合どうだろうか?」ということを真っ先に想像するようにしてます。

 よく「1つの作品をどれだけ遊んだら元を取ったことになるか」という質問がありますが、私は(あくまでも1つの基準として)「箱に書かれているプレイ可能人数の回数だけ回したら1順目」というように答えるようにしてます。つまり2~4人までというのであれば2人プレイで1回、3人プレイで1回、4人プレイで1回の合計「3回」ということですね。なかなかこれは時間的にも厳しい縛りなのですが、やはりそこまでして初めて「元が取れている」。あるいは「正しくその作品に触れられている」といえるのではないでしょうか。

 最後に

「レビューの不確定性」

 というのも挙げておきたいです。

 今まで述べてきたように、ドイツゲームはプレイする人数によって時に大きく表情を変えることがあります。ですから、ある作品に対してプレイレポート(あるいは個人的な評価等)を寄せる場合には、「何人でプレイした上でのもの」であるのかは、これは是非載せていただきたい項目といえるでしょうね。

 むしろその情報を抜きにしたものに関しては、これはもう片手落ちに近いものといっても良いでしょう。単に「面白かった」、あるいは「つまらなかった」という情報のみでも、もちろん有用は有用ですけど、はたして本当にその情報を参考にして良いものかどうかに関しては、私はその精度は決して高くない可能性があると思うわけです。

 逆にいえば、「もしこれが○人プレイだったら・・・」みたいな感じで、実際に行われた過去のセッションと比較しながら、(人数面での変化に伴う)感想が書かれているような記事は、これは実に読み応えのあるものです。また普段では考えられないような人数でのプレイのレポートとかにも大きな魅力を感じます。

※余談ですが、私自身の大まかな基準では、プレイ人数は少なくなればなるほど作品の魅力は増すというものがあります(もちろんそれに該当しない場合も多々あります)。ですので、大人数でのプレイで面白かったという感想が挙げられた作品に関しては、私の中では注目度のプラス修正がかかる感じです(笑)。

 是非ボードゲームにおける「プレイ人数」という概念。それに関して必然的に生じる「適正」という部分には、是非皆さん意識的に注目をしてみてください。そうすることでまた1つ、新たに違った角度から作品を眺められることになるはずですから。byタカハシ
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