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     ここは新潟でボードゲームを楽しむ人達のための集会所です。

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現時点でのゲーム会の予定は下記のとおりです。もし希望があればこれら以外にも特例会などを行うことも検討しております。

NBGCの月例会はお休みです。

※次回の開催は10月下旬の予定です。

9月9日(日):OASE新潟9月例会

場所:万代市民会館(13:00~)
参加費:300円(初回、小中学生は無料)
詳細:こちら

是非皆様の御参加をお待ちしております。
 いや、なんかずっと更新をサボっていたらTOPに広告が出るようになってしまいました(笑)。新しい記事を更新すれば消えるよということなので、仕方なく更新します^^;

 今回はボードゲーマーは文系か、理系か、という話。

 だいたい中学校に入るあたりから、数学が苦手だったりするのが自分でもわかってきて、ほとんどの人が高校の3年生ごろになると、文系クラスか理系クラスに強制的に分けられることで、なんとなく自分が文系なのか理系なのかを自覚することになると思うのですが、そもそも「文系」とか「理系」とかいう言葉自体その定義が曖昧で、おおざっぱに「数学が得意か不得意か」の違いくらいにしか認識していないのですが、ここでは「文系の人独特の思考」と「理系の人独特の思考」をある程度勝手に想定したうえで話を進めたいと思います。

 いわゆる「文系の人」は、情報を集める(覚える)のが非常に得意な人が多いですね。対象を目の前にした際に的確にその内容を掴み取るというか、正確に物事を認識する能力に長けている人が多いと思われます。

 一方で「理系の人」は、情報を処理する(分析する)のが得意な人が多いですね。その情報が何の一部なのか、また何に発展し、何に繋がるものなのかを認識する能力に長けている人が多いと思われます。

 この両者は似ているようで決定的に違います。

 これをボードゲームに当てはめるとさらに良く分かるかもしれません。

 「文系の人」はボードゲームを目の前にすると、とにかく「情報」を得ようと頭を働かします。どういったルールなのかから始まり、駒の動き、扱っているテーマの内容、駒の材質からボードに書かれたイラストまで、事細かに把握することでしょう。

 一方で「理系の人」がボードゲームを目の前にした場合は、これは「どうやってこのゲームを面白く遊ぶか」といった「手段」の模索に終始します。ゲームの中で起こりうる状況を想定したり、どうやったら勝利へ近づけるかといった作戦を考えたりすることで、その作品の魅力を追求しようとします。

 世の中「完全に」文系タイプ、理系タイプに分かれることはありませんので、どんな方でも「文系的思考」や「理系的思考」を同時に持ち合わせているとは思うのですが、最近ちょっと思うのは、ことボードゲームにおいては「理系的な思考」で考察する努力が少しないがしろにされつつあるかなと。

 つまり何が「面白かった」のか、あるいは「つまらなかった」のかをあまり真剣に考えようとしないまま、そもそもそういうことを考えること自体を放棄する人が多い気がするのです。

 たとえば話題の作品を遊んだとします。圧倒的に情報過多の時代に突入している現在のボドゲ界では、あらかじめ得られる「情報」は非常に多いですよね。「テーマ」、「システム」から始まって、「面白かった」かどうかもある程度の数字で把握することも可能です。

 こういった「情報」が先行することで、良い面ももちろんあるのでしょう。しかし「面白かったかどうか」みたいな最後の結論みたいな情報を先に手に入れてしまうと、どうしても「自分もそれに近い結論に至らなければならない」という変な強迫観念に縛られてしまうケースもあって、結果的に何故そのような結論に自分が至ったかの過程をすっとばしてしまうことが往々にしてあると思われます。

 よくセッション後に作品の感想を伺ったりすると、「いやぁ面白かったです」とか、「う~ん、ちょっとダメですね」とかいった様々な意見を頂戴するのですが、それが何故「面白かった」のか、何故「ダメだった」のかまできちんと説明してくださる方は凄くまれです。

 また各種のレポートでも「実にエレガントなシステムです」とか言われても、実際にどういう意味なのかはちょっと伝わりにくいですよね(自己反省も込めて^^;)。面白さのツボを言葉で表現するのはなかなかに難しい作業なのですが、できればそういった深い部分まで踏み込んだレポートが読んでみたいです。

 結局ボードゲームの感想なんて「主観」でしかありませんし、そのたくさんの「主観」の集まりの中から、細かな同異点を探すのがネットレビューの面白さの1つでもありますから、もっともっと「主観」を磨く努力をしても良いのではないでしょうか。そのためには・・・

理系的な思考で作品をとらえてみる!

 のも時には重要ではないでしょうか。

 結構「面白さのツボ」を見誤るのは恥ずかしいみたいな感じで、自分なりの分析をしたがらない人が多いとは思いますが、それは実にもったいないことです。この作品のこのシステムによって、こういう状況が生まれて、自分はそのときこう感じて痺れました。あそこでああいった選択肢が用意されている(隠されている)のは実に奥が深いですね。みたいなある意味与えられた「情報」を超えた部分での面白さの「分析」ともいえる感想は、単なる「情報」だけのレポートの何倍も価値があるのではないでしょうか。

 「情報」と「処理(分析)」、ボードゲームの魅力を伝えるのはこの2つが必ず必要です。先に「分析」だけが先行しても、それは受け手には伝わりにくいので(それこそ単なる「情報」になってしまう)ほとんど無価値と言ってもよいでしょうし、また「情報」を「分析」する過程において、大きな誤りや矛盾を感じさせるような内容であれば、共感を得るのは難しいかもしれません。

 しかし「情報」をただの「情報」で終わらせずに、そこからさらに自分の頭で「分析」して、面白さの追求をする。これを常に実行すれば、「面白い」と話題の作品に関しては「凄く面白い」作品として認識する可能性が増えますし、「いまいち」と噂の作品に関しても、隠された「面白さのポイント」をどこかに見つけることで決してセッションがつまらなくなったりしないかもしれません。「分析」という行為を通じて、作品の魅力を探るという「理系の思考」は、より一層豊かなボドゲライフにつながるといえるのではないでしょうか。byタカハシ