以前よりNBGCが一貫して提唱し続けているもの。それは「ボードゲームは複数回遊ぶべきである」ということ。この思いはおそらくどこまで行っても変わりはないと思うけど、では実際にボードゲームって、何回目のプレイが一番面白いのだろうか?
今までこの点を深く議論しているような記事を見かけたことが無い。もちろん、ひとそれぞれ面白さのツボが違ったり、この趣味に求めているものが違ったり、自由な時間やお金の問題、ケースバイケースだからこそ、答えが出ない問題をあえて考える必要もないという思考のもとで、スルーされてきた面はあるのだろうと想像する。
繰り返しになるかもしれないが、何回目のプレイが一番面白いかという問題と、ボードゲームは繰り返し遊ぶべきであるという主張には、本来関係性はあまりないだろう。ただ、うっすらとではあるが、何らかの相互関係はあるようにも感じる。ちょっとその辺を探るのも面白そうだと思い、今回コラムで考えてみる。
1.やっぱり1回目が面白い説
私はボードゲームのレビューはグルメレポートと似ていると思っている。美味しいお店を紹介したい。また逆にまずいお店を紹介したい(犠牲者を減らすという意味でw)。自分の好みを表現したいなどの部分がそっくりだ。
実生活でもそうだけど、「ここは美味しい」と噂のお店に限らず、「新装開店」など初めて訪れるお店では、お店の雰囲気やこれから出てくる料理への期待も含めて、得も言われぬ興奮というか、何とも言えないドキドキ感がたまらない。
未知の味への探求心とでもいうのであろうか。一種の冒険感すら感じることもある。
だから、ここでいうところの「1回目が一番面白い」という意見を持つ人間の思考は、おそらく「上質な味に出会った時の感動」、「新鮮な触感に驚かされた意外性」がその理由の上位に来るであろうことは想像に難くない。
いわば「知的探究心」を一番刺激される瞬間を優先順位の一番に持ってくるというわけだ。
これはある程度の趣味に共通する見解ではなかろうか。もちろん「消費型」という面は否めないが、私自身も非常にしっくりくるというか、その感覚は凄く良く「わかる」気がする。
2.2回目こそ面白い説
個人的には、ここを主張する人も結構存在するのではないかな?と思う。1回目よりも2回目の方がより中身に精通していることから、セッション自体に深みが増すという主張だろう。
あるいは1回目は、いわばテストプレイみたいなものだという意見すらあるだろう。
いずれにせよ、ここで行われる作業は「思いだし」と「確認」だ。
2回目以降のセッションにたどり着いた時点で、我々はグルメリポート的にはいわばリピーターの位置にあるといえる。なぜリピーターになったのかについては、理由は2つしかない。
1.1回目のセッションが面白かった、あるいは2回目以降のセッションに期待が持てたから。
2.1回目のセッションは面白くなかったけど、もう一度確認がしたかったから。
前者は意外に後半の部分が重要である。単に面白かったからといって必ずしもリピーターになるかといえばそう単純ではない。仮に1回目でその面白さの全貌が分かってしまった場合(極稀ではあるが)、2回目以降に繋がらないケースもある。1回目を踏まえて、2回目以降にも何らかの期待感を持たせるような部分、ここでも知的好奇心を刺激する部分が要求されるのは必然だろう。
結果、1回目よりもより深くゲームに関われた(る)。これこそが2回目こそ一番面白いと主張する理由ではなかろうか。
また、これは2の場合にも当てはまる。1回目はあまり面白くは無かったけど、2回目は1回目を遊んでいるという経験から、思いの外ゲームの中身が理解できて面白かったというケースは意外に多くあったりする。
つまり、一度(軽くでも)経験をすることで、より深く楽しめるようになる。
これもまた、ゲーム性を有する趣味(スポーツとかでも)全般に、一律に当てはまる真実なのではなかろうか?
3.3回目以降が一番面白い説
ここまでくれば、あとはもう2回目の理由の強化版であろうことは想像がつく。3回目以降(ある意味最新のセッション)こそが一番深く作品と関われているという説だ。
「慣れ」こそがその作品の味を引き出す最大の要素であり、精通した先の先が一番面白いというわけだ。
個人的にはこれも良く分かる。このような作品自体がレアで、おそらく歴史的な名作と呼ばれる多くのものがここに属するであろうことは間違いないが、そういう作品が確かに存在するのも事実であり、それこそがこの趣味最大の魅力と考える人もいるだろう。
結局この問題は作品によって異なるという結論にならざるを得ないのかもしれない。
ある意味1回目がMAXで、2回目以降が尻すぼみの作品。
1回目よりも2回目の方が面白かったけど、それ以降は尻すぼみの作品。
やればやるほど面白くなっていく奇跡のような作品。
今までの経験上、色々なパターンがあったし、どの意見もそれなりに説得力があるように感じる。自分の中では最後の説が一番しっくりくるのだが、これも個人差があると思うし、3回目以降といっても、それが実際に何十回もあとまで続くのかと言われると自信が無い(そこまで遊べていないという説もあるw)。
余談だが、グルメレポートにせよ、ゲームレビューにせよ、大事なのは「レポートする」ということであって、例えば1回目のレポートに価値が無いなんてことは断じてないだろう。もちろん何度も繰り返し遊んだ人の意見に「説得力が増す」のは当然の事だとは思うが、ある意味1回目の新鮮な直感なども貴重なデータといえよう。
はたしてボードゲームは「消費型」の趣味なのか、そうでないのかに関しては、結構深い議論があるように感じるが、私個人的にはいつまでも3の意見を持てるように頑張っていきたいと思う。byタカハシ
今までこの点を深く議論しているような記事を見かけたことが無い。もちろん、ひとそれぞれ面白さのツボが違ったり、この趣味に求めているものが違ったり、自由な時間やお金の問題、ケースバイケースだからこそ、答えが出ない問題をあえて考える必要もないという思考のもとで、スルーされてきた面はあるのだろうと想像する。
繰り返しになるかもしれないが、何回目のプレイが一番面白いかという問題と、ボードゲームは繰り返し遊ぶべきであるという主張には、本来関係性はあまりないだろう。ただ、うっすらとではあるが、何らかの相互関係はあるようにも感じる。ちょっとその辺を探るのも面白そうだと思い、今回コラムで考えてみる。
1.やっぱり1回目が面白い説
私はボードゲームのレビューはグルメレポートと似ていると思っている。美味しいお店を紹介したい。また逆にまずいお店を紹介したい(犠牲者を減らすという意味でw)。自分の好みを表現したいなどの部分がそっくりだ。
実生活でもそうだけど、「ここは美味しい」と噂のお店に限らず、「新装開店」など初めて訪れるお店では、お店の雰囲気やこれから出てくる料理への期待も含めて、得も言われぬ興奮というか、何とも言えないドキドキ感がたまらない。
未知の味への探求心とでもいうのであろうか。一種の冒険感すら感じることもある。
だから、ここでいうところの「1回目が一番面白い」という意見を持つ人間の思考は、おそらく「上質な味に出会った時の感動」、「新鮮な触感に驚かされた意外性」がその理由の上位に来るであろうことは想像に難くない。
いわば「知的探究心」を一番刺激される瞬間を優先順位の一番に持ってくるというわけだ。
これはある程度の趣味に共通する見解ではなかろうか。もちろん「消費型」という面は否めないが、私自身も非常にしっくりくるというか、その感覚は凄く良く「わかる」気がする。
2.2回目こそ面白い説
個人的には、ここを主張する人も結構存在するのではないかな?と思う。1回目よりも2回目の方がより中身に精通していることから、セッション自体に深みが増すという主張だろう。
あるいは1回目は、いわばテストプレイみたいなものだという意見すらあるだろう。
いずれにせよ、ここで行われる作業は「思いだし」と「確認」だ。
2回目以降のセッションにたどり着いた時点で、我々はグルメリポート的にはいわばリピーターの位置にあるといえる。なぜリピーターになったのかについては、理由は2つしかない。
1.1回目のセッションが面白かった、あるいは2回目以降のセッションに期待が持てたから。
2.1回目のセッションは面白くなかったけど、もう一度確認がしたかったから。
前者は意外に後半の部分が重要である。単に面白かったからといって必ずしもリピーターになるかといえばそう単純ではない。仮に1回目でその面白さの全貌が分かってしまった場合(極稀ではあるが)、2回目以降に繋がらないケースもある。1回目を踏まえて、2回目以降にも何らかの期待感を持たせるような部分、ここでも知的好奇心を刺激する部分が要求されるのは必然だろう。
結果、1回目よりもより深くゲームに関われた(る)。これこそが2回目こそ一番面白いと主張する理由ではなかろうか。
また、これは2の場合にも当てはまる。1回目はあまり面白くは無かったけど、2回目は1回目を遊んでいるという経験から、思いの外ゲームの中身が理解できて面白かったというケースは意外に多くあったりする。
つまり、一度(軽くでも)経験をすることで、より深く楽しめるようになる。
これもまた、ゲーム性を有する趣味(スポーツとかでも)全般に、一律に当てはまる真実なのではなかろうか?
3.3回目以降が一番面白い説
ここまでくれば、あとはもう2回目の理由の強化版であろうことは想像がつく。3回目以降(ある意味最新のセッション)こそが一番深く作品と関われているという説だ。
「慣れ」こそがその作品の味を引き出す最大の要素であり、精通した先の先が一番面白いというわけだ。
個人的にはこれも良く分かる。このような作品自体がレアで、おそらく歴史的な名作と呼ばれる多くのものがここに属するであろうことは間違いないが、そういう作品が確かに存在するのも事実であり、それこそがこの趣味最大の魅力と考える人もいるだろう。
結局この問題は作品によって異なるという結論にならざるを得ないのかもしれない。
ある意味1回目がMAXで、2回目以降が尻すぼみの作品。
1回目よりも2回目の方が面白かったけど、それ以降は尻すぼみの作品。
やればやるほど面白くなっていく奇跡のような作品。
今までの経験上、色々なパターンがあったし、どの意見もそれなりに説得力があるように感じる。自分の中では最後の説が一番しっくりくるのだが、これも個人差があると思うし、3回目以降といっても、それが実際に何十回もあとまで続くのかと言われると自信が無い(そこまで遊べていないという説もあるw)。
余談だが、グルメレポートにせよ、ゲームレビューにせよ、大事なのは「レポートする」ということであって、例えば1回目のレポートに価値が無いなんてことは断じてないだろう。もちろん何度も繰り返し遊んだ人の意見に「説得力が増す」のは当然の事だとは思うが、ある意味1回目の新鮮な直感なども貴重なデータといえよう。
はたしてボードゲームは「消費型」の趣味なのか、そうでないのかに関しては、結構深い議論があるように感じるが、私個人的にはいつまでも3の意見を持てるように頑張っていきたいと思う。byタカハシ
皆さんあけましておめでとうございます。
今年も皆様にとりまして、素晴らしいボードゲームライフでありますように。
さて、本日は新年の戯言というタイトルのもと、「ボードゲームの現在に思うこと」というサブタイトルのとおり、2014年今現在の日本のボードゲーム界に対する私自身の考え方を、少しお話させていただきたいと思います。
基本戯言ですから、真剣にとらえたりしてもらうことが目的ではないのですが、今後のNBGCの活動ならびにスタイルに少なからず影響を及ぼすと思いますので(たぶん)、なんていうんでしょうか、まぁ予防線のようなものです^^;
-ボードゲームブームの到来について
なんか凄いですね。ブーム到来のようですよ。実感は全然ないですけど(爆)、確かに新春の田舎の地元新聞にもデカデカと「ボードゲームブームが到来!」みたいな記事が載ってましたからね。そこで紹介されているゲームに関してはまぁ例によってアレな作品がほとんどですが(笑)、まぁ素直に嬉しいですね。
たとえそれが「人狼ブーム」であろうがなんであろうが、アナログなゲームにスポットが当たりつつあるのは、これは本当に嬉しいです。以前「布教に関する奇妙な違和感」というコラムで、「アナログゲームを布教するのとドイツゲームを布教するのとは違う」と指摘しましたが、その気持ちは今も変わらないまでも、「ゲーム」というレクリエーションツールに対して、世間様の許容度合いが増えてきたという点に関しては、ブームの到来は実にありがたいと感じます。
問題はこのブームがどれだけ続くのか、またブームはいずれ去るものですから、去った後に一体何が残るのかでしょうね。
長年この趣味に関わっている身としては、このブームといった現象に関してそれほど多くの期待はしてません。少しだけ愛好者が増えて、少しだけ市場が大きくなっていればそれで良いのかなと。爆発的な大ブームなんかは逆に望んでません(理由は後述)。あまりにも嵐が大きすぎると、通り過ぎた後の爪痕が大きすぎるので><
-日本のデザイナについて
昨今の同人ブーム。日本人のアナログゲームデザイナの力は今や世界基準ともいえるでしょう。特にカードゲームに関しては相当レベルが高いです。今後も海外の一流メーカに拾われていく機会は増えていくんじゃないかと予想してます。その道を切り開いたフロンティア精神あふれる人たちには心底敬意を表する次第です。
その一方で、ボードゲームデザイナが極端に少ないことは残念です(あっても有名作品の2番煎じ的なものが多かったり)。これは単純に芳醇な才能を拾い上げるシステムがまだ日本では確立していないということと、ボードの場合コストがかなりかかることが要因でしょう。カードゲームの方が簡単に作りやすくチャレンジしやすいというメリットはメチャメチャ大きいのだと思います。
才能はもうね。間違いないですよ。かなり意欲的なシステムを搭載した作品もありますし(稀ですけど^^;)、あとはそれを「国産ゲーム」として売り出すか、「ドイツゲーム」として売り出すかの違いだけで、制作ルートの問題な気もしますが、アートワーク等も含めて「極めてドイツ的」に売り出す方向にシフトして欲しいなぁというのが個人的な希望です。
-日本のショップについて
最近の流通の速度はとんでもないですね。エッセンの新作でもその年の内に国内で流通したりとか、ホントありがたい話です。私はたまに個人輸入もしますけど、できるなら国内のショップを利用したい派です。色々な面でサポートを受けられるという安心感が大きいです。
あと、日本語化の問題。なんか最近は人気作はすぐに日本語化されますね^^;制作の時間とか考えると、日本語化の権利購入はもうほとんど本作リリースと同時なのではないでしょうか?ショップとしてはそれだけ早い段階での情報の入手と選球眼が求められる時代になったんでしょうね。
個人的には舶来嗜好も全くないわけではないので、「言語依存のあまり無い作品の日本語化」には反対ですけど、作品の安定供給という面からは今後もこの流れは歓迎です(勝手だなオイ^^;)。
関係ないですけど、私の知人が言うには、どんな趣味でも偉い奴ってのは、どれだけ知識があるかじゃなくて、どれだけその趣味に金を使ったかなんだそうですが、この意見には私も同意です。
やっぱね、最終的にはお金をたくさん落とした人が偉いわけですよ(笑)。
私もトータルでいえば軽く新車が買えるくらいこの趣味にはお金を落としてますけど(爆)、最近はめっきり減りましたね。年間で6ケタは間違いなくいってますけど、7ケタは超えてません。エッセンくんだりまで出向いたりすれば7ケタいくのかなぁ~?
-名作の復刻について
ここ数年特に旧作の中でも名作と言われる作品の復刻が進んできているように感じます。ある意味面白さは保証されているので、お店としても「(権利を購入して)名作を売り出す」というのは、ある意味「間違いない内容だとわかっていて売り出す」わけですから、商売的にも魅力があるのは理解できます。
ただしその一方で、個人的には単なるそういった商売上のメリットだけで動いているのではないというロマンチックな期待もあります。「あの名作を埋もれさせてはいけない!」、「絶版のままプレイ機会が失われているのはもったいない!」というある種の使命感みたいなものがどこかに感じられるのは、やはり自分が過去のその名作に触れて、少なからぬ感動を得たからに違いありません。
長らく絶版だったりして入手の機会を得られなかった、あるいは復刻によって初めてプレイする機会を得たという人が増えれば、ボードゲームという趣味の魅力も増すというものです。ちなみに、そのほとんどを既に入手している身としては、残念ながらそういった「恩恵」はあまり受けれてはいないのですが(笑)、名作と呼ばれるような作品に再度スポットが当たるだけでも嬉しいので、この流れはどんどん続いていってくれたら良いですね。
ちなみに復刻は多くが小品(特にカードゲーム等)が多いのですが、これはやはりコストの問題でしょうか。徐々に大箱の割合も増えてきているので、この流れは大切にしていただきたいです。
それと、もしあなたが興味ある作品で未所有だったならば、復刻=即買いは基本です。またいつ絶版になるかわかりませんからw
-ドイツゲームという文化について
ブームの到来に関して、今一度この問題に触れる必要はあるのかなと。黒船来航(『カタンの開拓者』の日本語版発売)から約20年。「ドイツゲーム」という文化は日本にそれなりに上手く溶け込み、また同時に日本流の「アナログゲーム」として消化されていったのだと思います。その辺の詳しい歴史みたいなものは私よりもさらに上のマニア様が詳しく研究してくれると思いますけど、ようは文化というものはその国々で当然のように変化するわけで、日本流の「アナログゲーム」という姿が形成されつつある現在(いま)は、これは当然洗練されたあとの形であり、まさにマジョリティなんですよね。
また本国のドイツであっても、当然にスタイルはどんどんと変化しているわけで、世界的な視点から見ても、日本なりの消化の仕方が必ずしも特異なものであったとは言えない部分も多いと感じます(この辺は有名な賞に選ばれたりノミネートをされたりしている作品の流れから推察できるかもしれません)。
一方で、まだそれでも「ドイツゲーム」という源流を愛し、そこを楽しむという人も少なからず存在しているのも事実だと思います。いまだに魅力的な作品はリリースされますし、世界的に愛好家も多いですし、(マニアの間で)評価もきちんとされてます。
しかし、サークルを運営する身としては、これは難しい問題でもあるんですよね。従来のコアな「ドイツゲーム」ファンと、洗練された日本流の「アナログゲーム」ファンに対しては、自ずと準備する(提供すべき)作品が異なってきてしまいます。
今現在は恐らく多くのゲームサークルで「同時並行型」が主流なのでしょうけど、近い将来、その辺は大きな舵取りが求められるような気がしてなりません。そして「アナログゲーム」から「シミュレーションゲーム」が切り離されていったように、「ドイツゲーム」もそろそろ1つの独立したジャンルとして切り離されていく時期に差し掛かっているのではないでしょうか。
-新作と旧作(名作)について
これ、最近の一番の悩みです。
昨年あたりから、仕事とプライベートが極端に忙しくなって、ボードゲームを遊ぶ機会を得るのに非常に苦労してます。オープンな例会よりもプライベートのゲーム会の割合が極端に増え、同時に卓を囲む面子も段々と固定化されつつあります。
その結果どうなったかというと、新作よりも旧作(名作)を遊ぶ機会がメチャメチャ増えてきました。
その理由は
単純に旧作の面白さが安定しているからです。
正直新作は当たり外れが大きいと思います。楽しいセッションもあれば、つまらないセッションもある。この趣味にかかわってきた歴史が長ければ長いほど、(目が肥えて=過去の名作の面白さと比較して)面白い作品に出逢う確率も減りますし、なにより貴重な時間を無駄にしてしまいます(どんな作品であっても基本楽しい時間を仲間と共有するのですから必ずしも無駄ではないんですけどね^^;)。
もちろんつまらない作品を遊んでこそ、(たまに出会う)面白い作品の魅力が分かるという部分はあると思いますし、多くの作品に触れてこそ、自分好みの作品に出逢えるんだという部分も理解できます。でもわざわざそのコントラストを生むために、貴重なプレイ機会を1つ消費するのは非常にもったいなく感じるようになってきました。
私は自分が気に入った作品はほとんど手放しませんので、この十数年間で所有数も相当増えました。既に目の前に宝の山が存在している状態なわけです。またどの作品がどれほど面白いのかも既に「知ってます」。この「知っている」という部分がとても大きく、ついつい「死ぬまでにもう一度あの名店の味を…」的な思考になってしまうわけです(爆)。
たまに親しいボドゲ仲間に言うんですよ。
私「(ゲーム棚を眺めて)今までさ、これだけの作品を遊んできたわけだから、もう1順するのはかなり大変だよね。もう明日から新作とか一切出なくても良いよなぁ」
仲間「それは困る!」
やっぱ新作の魅力は不変なんでしょうかw
-ボードゲームという趣味の楽しさについて
この趣味の楽しさってなんですか?って聞かれると、結構多くの人が「色んな人と楽しめることかな」って答えると思うんですけど、これって少し違う気がするんですよね。
「色んな人と楽しめる」とか、「出逢いがある」みたいな部分は、この趣味を続ける上での「良さ」ではもちろんあるかもしれませんけど、純粋な「楽しさ」ではないと思うんです。
やはりこの趣味の純粋な楽しみは「素晴らしい作品に巡り会える」ことでしょう。
世の中にこんなに面白いものが存在していたんだという驚き、感動、それこそが私達を突き動かす原動力なわけで、ある意味そこに家族とか、友人とかいったものは関係ありません。そりゃ最終的に自分の周りの人とそういう感動を共有したいって気持ちにはなるでしょうし、そこを「目的」にすることに関しては全く異論はありませんけど、根本となる部分はその多くを「作品に依存している」と私は思うんです。
昨今の新作の発売ペースや、それに伴う過去の作品の蓄積をかんがみるに、もうこのジャンル的には飽和状態にあるといっても過言ではありません。その中で、どれほどこの趣味の「楽しさ」を追求できるかといえば、それはもう個人個人の選択にゆだねる以外ないでしょう。
「できうる限り素晴らしい作品に巡り会って欲しい」。心からそう思いますけど、実際には難しいですね。個人個人で好みも違えば環境も違いますから、作品を提供する側としては自ずと限界があります。厳しい意見を言うようですが、今一つこの趣味が爆発的にブームにはならないのは、その辺の難しさが一番の要因ではないかと思うんです。つまり作品を提供する側でお客が100%満足する作品を提供できていないというわけです。
個人的な感覚でいえば、私自身は自分で作品を「選んで」購入し、また遊んできたので、その部分での「楽しさ」の打率は8割を超えているという自負があります。がその一方でゲーム会などのオープンな場だとその打率は5割を切っている気がします。自分が主催するサークルのお客さんがどれだけ満足しているかも、想像ですけど5割以下な気がします(やはりどうしても私とは皆さん好みが違うので><)。
ただ、それでもゲーム会が楽しいのは、たとえ5割を切ったとしても魅力的な作品と出会える可能性が少しはあるわけですし、やはり同好の士と会って楽しむという魅力があるからなんでしょうけど、よく言われるのは「クローズの例会の面白さは格別だね」という言葉です。やはりそれだけ親しいゲーム仲間ということでお互いに好みも知ってるし、準備する作品の性質がそもそも違うからでしょうか、もちろん中には実験的な作品や新作など評価が不確定なものもありますけど、まぁ好み(楽しさ)を大きく外すのはレアケースです。
ですから、私自身も振り返ってみると過去のクローズのゲーム会が一番面白かったなぁと感じます。もう毎回毎回面白い作品と巡り会いそれを消化していくのは、まさに大航海時代の新大陸を発見する喜びに似た感動を毎回味わい続けたようなもので、ある種の麻薬的な魅力がそこに存在していたように思います。いわゆるボドゲジャンキーだったわけですね^^;
逆に今現在はというと、もうこれはRPG的に言うとたぶんレベル99で上限に達した感じなんですよね。別に極めたとか偉そうなことをいうつもりではなく、必死でレベルを上げてた楽しい時期は過ぎ去ってしまったというか、全てのダンジョンを探検しつくしたというか、この趣味の最高に楽しい時期はもう通り過ぎたという実感があります。
かといって今のこの状況を悲観しているわけではなく、前述のとおり「宝は既に手に入れた」わけで、心は比較的(かなり)平穏です(爆)。これから先は、やはりそれでもつきぬ欲望に従い(笑)、新しい宝物を見つける旅をしながらも、以前ほどそれにのめり込むことはなく、どちらかといえば過去の宝物をとことん愛で、またその宝物を見たことがない人がいたときは、自信を持って紹介するようなことが出来たら良いなぁと思ってます。
ということで、今後のNBGCの活動は、まずはこの趣味を続ける上での「楽しさ=良質の作品との出会い」の追及を第一とし、そのためには準備する作品のセレクトにより一層磨きをかけ、その上で時代の流れに付いていく(いかなければならない)部分と、ある種源流としてのドイツゲームの魅了にこだわる硬派さ(?)の部分とを上手く調整していけたらと思います。
新年早々長々としたコラムになってしまいましたが(過去最長ですかね?)、今年もどうぞNBGCをよろしくお願いします。byタカハシ
今年も皆様にとりまして、素晴らしいボードゲームライフでありますように。
さて、本日は新年の戯言というタイトルのもと、「ボードゲームの現在に思うこと」というサブタイトルのとおり、2014年今現在の日本のボードゲーム界に対する私自身の考え方を、少しお話させていただきたいと思います。
基本戯言ですから、真剣にとらえたりしてもらうことが目的ではないのですが、今後のNBGCの活動ならびにスタイルに少なからず影響を及ぼすと思いますので(たぶん)、なんていうんでしょうか、まぁ予防線のようなものです^^;
-ボードゲームブームの到来について
なんか凄いですね。ブーム到来のようですよ。実感は全然ないですけど(爆)、確かに新春の田舎の地元新聞にもデカデカと「ボードゲームブームが到来!」みたいな記事が載ってましたからね。そこで紹介されているゲームに関してはまぁ例によってアレな作品がほとんどですが(笑)、まぁ素直に嬉しいですね。
たとえそれが「人狼ブーム」であろうがなんであろうが、アナログなゲームにスポットが当たりつつあるのは、これは本当に嬉しいです。以前「布教に関する奇妙な違和感」というコラムで、「アナログゲームを布教するのとドイツゲームを布教するのとは違う」と指摘しましたが、その気持ちは今も変わらないまでも、「ゲーム」というレクリエーションツールに対して、世間様の許容度合いが増えてきたという点に関しては、ブームの到来は実にありがたいと感じます。
問題はこのブームがどれだけ続くのか、またブームはいずれ去るものですから、去った後に一体何が残るのかでしょうね。
長年この趣味に関わっている身としては、このブームといった現象に関してそれほど多くの期待はしてません。少しだけ愛好者が増えて、少しだけ市場が大きくなっていればそれで良いのかなと。爆発的な大ブームなんかは逆に望んでません(理由は後述)。あまりにも嵐が大きすぎると、通り過ぎた後の爪痕が大きすぎるので><
-日本のデザイナについて
昨今の同人ブーム。日本人のアナログゲームデザイナの力は今や世界基準ともいえるでしょう。特にカードゲームに関しては相当レベルが高いです。今後も海外の一流メーカに拾われていく機会は増えていくんじゃないかと予想してます。その道を切り開いたフロンティア精神あふれる人たちには心底敬意を表する次第です。
その一方で、ボードゲームデザイナが極端に少ないことは残念です(あっても有名作品の2番煎じ的なものが多かったり)。これは単純に芳醇な才能を拾い上げるシステムがまだ日本では確立していないということと、ボードの場合コストがかなりかかることが要因でしょう。カードゲームの方が簡単に作りやすくチャレンジしやすいというメリットはメチャメチャ大きいのだと思います。
才能はもうね。間違いないですよ。かなり意欲的なシステムを搭載した作品もありますし(稀ですけど^^;)、あとはそれを「国産ゲーム」として売り出すか、「ドイツゲーム」として売り出すかの違いだけで、制作ルートの問題な気もしますが、アートワーク等も含めて「極めてドイツ的」に売り出す方向にシフトして欲しいなぁというのが個人的な希望です。
-日本のショップについて
最近の流通の速度はとんでもないですね。エッセンの新作でもその年の内に国内で流通したりとか、ホントありがたい話です。私はたまに個人輸入もしますけど、できるなら国内のショップを利用したい派です。色々な面でサポートを受けられるという安心感が大きいです。
あと、日本語化の問題。なんか最近は人気作はすぐに日本語化されますね^^;制作の時間とか考えると、日本語化の権利購入はもうほとんど本作リリースと同時なのではないでしょうか?ショップとしてはそれだけ早い段階での情報の入手と選球眼が求められる時代になったんでしょうね。
個人的には舶来嗜好も全くないわけではないので、「言語依存のあまり無い作品の日本語化」には反対ですけど、作品の安定供給という面からは今後もこの流れは歓迎です(勝手だなオイ^^;)。
関係ないですけど、私の知人が言うには、どんな趣味でも偉い奴ってのは、どれだけ知識があるかじゃなくて、どれだけその趣味に金を使ったかなんだそうですが、この意見には私も同意です。
やっぱね、最終的にはお金をたくさん落とした人が偉いわけですよ(笑)。
私もトータルでいえば軽く新車が買えるくらいこの趣味にはお金を落としてますけど(爆)、最近はめっきり減りましたね。年間で6ケタは間違いなくいってますけど、7ケタは超えてません。エッセンくんだりまで出向いたりすれば7ケタいくのかなぁ~?
-名作の復刻について
ここ数年特に旧作の中でも名作と言われる作品の復刻が進んできているように感じます。ある意味面白さは保証されているので、お店としても「(権利を購入して)名作を売り出す」というのは、ある意味「間違いない内容だとわかっていて売り出す」わけですから、商売的にも魅力があるのは理解できます。
ただしその一方で、個人的には単なるそういった商売上のメリットだけで動いているのではないというロマンチックな期待もあります。「あの名作を埋もれさせてはいけない!」、「絶版のままプレイ機会が失われているのはもったいない!」というある種の使命感みたいなものがどこかに感じられるのは、やはり自分が過去のその名作に触れて、少なからぬ感動を得たからに違いありません。
長らく絶版だったりして入手の機会を得られなかった、あるいは復刻によって初めてプレイする機会を得たという人が増えれば、ボードゲームという趣味の魅力も増すというものです。ちなみに、そのほとんどを既に入手している身としては、残念ながらそういった「恩恵」はあまり受けれてはいないのですが(笑)、名作と呼ばれるような作品に再度スポットが当たるだけでも嬉しいので、この流れはどんどん続いていってくれたら良いですね。
ちなみに復刻は多くが小品(特にカードゲーム等)が多いのですが、これはやはりコストの問題でしょうか。徐々に大箱の割合も増えてきているので、この流れは大切にしていただきたいです。
それと、もしあなたが興味ある作品で未所有だったならば、復刻=即買いは基本です。またいつ絶版になるかわかりませんからw
-ドイツゲームという文化について
ブームの到来に関して、今一度この問題に触れる必要はあるのかなと。黒船来航(『カタンの開拓者』の日本語版発売)から約20年。「ドイツゲーム」という文化は日本にそれなりに上手く溶け込み、また同時に日本流の「アナログゲーム」として消化されていったのだと思います。その辺の詳しい歴史みたいなものは私よりもさらに上のマニア様が詳しく研究してくれると思いますけど、ようは文化というものはその国々で当然のように変化するわけで、日本流の「アナログゲーム」という姿が形成されつつある現在(いま)は、これは当然洗練されたあとの形であり、まさにマジョリティなんですよね。
また本国のドイツであっても、当然にスタイルはどんどんと変化しているわけで、世界的な視点から見ても、日本なりの消化の仕方が必ずしも特異なものであったとは言えない部分も多いと感じます(この辺は有名な賞に選ばれたりノミネートをされたりしている作品の流れから推察できるかもしれません)。
一方で、まだそれでも「ドイツゲーム」という源流を愛し、そこを楽しむという人も少なからず存在しているのも事実だと思います。いまだに魅力的な作品はリリースされますし、世界的に愛好家も多いですし、(マニアの間で)評価もきちんとされてます。
しかし、サークルを運営する身としては、これは難しい問題でもあるんですよね。従来のコアな「ドイツゲーム」ファンと、洗練された日本流の「アナログゲーム」ファンに対しては、自ずと準備する(提供すべき)作品が異なってきてしまいます。
今現在は恐らく多くのゲームサークルで「同時並行型」が主流なのでしょうけど、近い将来、その辺は大きな舵取りが求められるような気がしてなりません。そして「アナログゲーム」から「シミュレーションゲーム」が切り離されていったように、「ドイツゲーム」もそろそろ1つの独立したジャンルとして切り離されていく時期に差し掛かっているのではないでしょうか。
-新作と旧作(名作)について
これ、最近の一番の悩みです。
昨年あたりから、仕事とプライベートが極端に忙しくなって、ボードゲームを遊ぶ機会を得るのに非常に苦労してます。オープンな例会よりもプライベートのゲーム会の割合が極端に増え、同時に卓を囲む面子も段々と固定化されつつあります。
その結果どうなったかというと、新作よりも旧作(名作)を遊ぶ機会がメチャメチャ増えてきました。
その理由は
単純に旧作の面白さが安定しているからです。
正直新作は当たり外れが大きいと思います。楽しいセッションもあれば、つまらないセッションもある。この趣味にかかわってきた歴史が長ければ長いほど、(目が肥えて=過去の名作の面白さと比較して)面白い作品に出逢う確率も減りますし、なにより貴重な時間を無駄にしてしまいます(どんな作品であっても基本楽しい時間を仲間と共有するのですから必ずしも無駄ではないんですけどね^^;)。
もちろんつまらない作品を遊んでこそ、(たまに出会う)面白い作品の魅力が分かるという部分はあると思いますし、多くの作品に触れてこそ、自分好みの作品に出逢えるんだという部分も理解できます。でもわざわざそのコントラストを生むために、貴重なプレイ機会を1つ消費するのは非常にもったいなく感じるようになってきました。
私は自分が気に入った作品はほとんど手放しませんので、この十数年間で所有数も相当増えました。既に目の前に宝の山が存在している状態なわけです。またどの作品がどれほど面白いのかも既に「知ってます」。この「知っている」という部分がとても大きく、ついつい「死ぬまでにもう一度あの名店の味を…」的な思考になってしまうわけです(爆)。
たまに親しいボドゲ仲間に言うんですよ。
私「(ゲーム棚を眺めて)今までさ、これだけの作品を遊んできたわけだから、もう1順するのはかなり大変だよね。もう明日から新作とか一切出なくても良いよなぁ」
仲間「それは困る!」
やっぱ新作の魅力は不変なんでしょうかw
-ボードゲームという趣味の楽しさについて
この趣味の楽しさってなんですか?って聞かれると、結構多くの人が「色んな人と楽しめることかな」って答えると思うんですけど、これって少し違う気がするんですよね。
「色んな人と楽しめる」とか、「出逢いがある」みたいな部分は、この趣味を続ける上での「良さ」ではもちろんあるかもしれませんけど、純粋な「楽しさ」ではないと思うんです。
やはりこの趣味の純粋な楽しみは「素晴らしい作品に巡り会える」ことでしょう。
世の中にこんなに面白いものが存在していたんだという驚き、感動、それこそが私達を突き動かす原動力なわけで、ある意味そこに家族とか、友人とかいったものは関係ありません。そりゃ最終的に自分の周りの人とそういう感動を共有したいって気持ちにはなるでしょうし、そこを「目的」にすることに関しては全く異論はありませんけど、根本となる部分はその多くを「作品に依存している」と私は思うんです。
昨今の新作の発売ペースや、それに伴う過去の作品の蓄積をかんがみるに、もうこのジャンル的には飽和状態にあるといっても過言ではありません。その中で、どれほどこの趣味の「楽しさ」を追求できるかといえば、それはもう個人個人の選択にゆだねる以外ないでしょう。
「できうる限り素晴らしい作品に巡り会って欲しい」。心からそう思いますけど、実際には難しいですね。個人個人で好みも違えば環境も違いますから、作品を提供する側としては自ずと限界があります。厳しい意見を言うようですが、今一つこの趣味が爆発的にブームにはならないのは、その辺の難しさが一番の要因ではないかと思うんです。つまり作品を提供する側でお客が100%満足する作品を提供できていないというわけです。
個人的な感覚でいえば、私自身は自分で作品を「選んで」購入し、また遊んできたので、その部分での「楽しさ」の打率は8割を超えているという自負があります。がその一方でゲーム会などのオープンな場だとその打率は5割を切っている気がします。自分が主催するサークルのお客さんがどれだけ満足しているかも、想像ですけど5割以下な気がします(やはりどうしても私とは皆さん好みが違うので><)。
ただ、それでもゲーム会が楽しいのは、たとえ5割を切ったとしても魅力的な作品と出会える可能性が少しはあるわけですし、やはり同好の士と会って楽しむという魅力があるからなんでしょうけど、よく言われるのは「クローズの例会の面白さは格別だね」という言葉です。やはりそれだけ親しいゲーム仲間ということでお互いに好みも知ってるし、準備する作品の性質がそもそも違うからでしょうか、もちろん中には実験的な作品や新作など評価が不確定なものもありますけど、まぁ好み(楽しさ)を大きく外すのはレアケースです。
ですから、私自身も振り返ってみると過去のクローズのゲーム会が一番面白かったなぁと感じます。もう毎回毎回面白い作品と巡り会いそれを消化していくのは、まさに大航海時代の新大陸を発見する喜びに似た感動を毎回味わい続けたようなもので、ある種の麻薬的な魅力がそこに存在していたように思います。いわゆるボドゲジャンキーだったわけですね^^;
逆に今現在はというと、もうこれはRPG的に言うとたぶんレベル99で上限に達した感じなんですよね。別に極めたとか偉そうなことをいうつもりではなく、必死でレベルを上げてた楽しい時期は過ぎ去ってしまったというか、全てのダンジョンを探検しつくしたというか、この趣味の最高に楽しい時期はもう通り過ぎたという実感があります。
かといって今のこの状況を悲観しているわけではなく、前述のとおり「宝は既に手に入れた」わけで、心は比較的(かなり)平穏です(爆)。これから先は、やはりそれでもつきぬ欲望に従い(笑)、新しい宝物を見つける旅をしながらも、以前ほどそれにのめり込むことはなく、どちらかといえば過去の宝物をとことん愛で、またその宝物を見たことがない人がいたときは、自信を持って紹介するようなことが出来たら良いなぁと思ってます。
ということで、今後のNBGCの活動は、まずはこの趣味を続ける上での「楽しさ=良質の作品との出会い」の追及を第一とし、そのためには準備する作品のセレクトにより一層磨きをかけ、その上で時代の流れに付いていく(いかなければならない)部分と、ある種源流としてのドイツゲームの魅了にこだわる硬派さ(?)の部分とを上手く調整していけたらと思います。
新年早々長々としたコラムになってしまいましたが(過去最長ですかね?)、今年もどうぞNBGCをよろしくお願いします。byタカハシ
最近更新頻度がめっさ遅いNBGCですが、今回はもう他所様で散々語りつくされてきた感のある「インスト」の話をしたいと思います。
ここでいう「インスト」とは「インストール」でも「インストゥルメンタル」でもなく「インストラクト」の略で、ボードゲームではセッションを始める際に「ルールの説明を行うこと」を意味します。「インスト」はセッションの導入の重要な部分であり、大抵はその作品を遊んだことのある経験者か、あるいはインスト慣れしているベテランがその任に付くケースが多いと言えます。
また、当然「ルールの説明」である以上、ここで重要視されるのは
1.正しいルールを正確に伝えること
2.それが参加者にきちんと伝わること
の2点に集約されるのは容易に想像がつくことでしょう。ただし、ここにおける方法論などはもうさんざん語りつくされてきた部分でもありますので、今回はあえてその辺には触れません。しかしながら、私は仮に上記の条件を完璧にこなすインストラクターがいたとして、はたしてそれが100点満点のインストなのかというと、必ずしもそうではないケースが結構あるのではないか?という疑問を抱いてます。
つまり何が言いたいかというと、私の中では「インスト」という行為は
「ルールを説明すること」
ではなく
「面白さを説明すること」
だと考えているわけです。
もちろん、ある種一定のルールに従った「ボードゲーム」を遊ぶわけですから、「ルールの説明」が大事ではないとは言いません。それがきちんと理解できなければまっとうなセッションが成立しない可能性だってあるわけですから、それまでの色々な方法論を駆使して、正しくルールを説明することの重要性を否定するわけではもちろんありません。
がしかし、「インストラクト」という言葉の本来の定義にしたがえば、それは単なる作品への「案内役」ではなく、「いかに参加者にその作品に興味を持ってもらえるか」を最重要の課題として認識すべきであって、いくら正確に、間違わずに、わかりやすくルールを説明したとしても、それが参加者にとって「楽しいインスト」でなければ、必ずしも満点のインストとは呼べないのではないでしょうか。
私個人も、ゲームサークルを主宰したりしている都合上、インスト役を担うケースが多いのですが、その一方で他の方のインストを受けるケースも非常に多いです。そしてその経験則からいうと、インストの段階から楽しいセッションは、ほぼ間違いなく楽しいセッションになるということ。逆にいくら上手にルールの説明をされる方でも、それが単なる事務作業的なもので、そこから作品の面白さがなかなか伝わってこないようなインストの時は、セッション自体もあまり盛り上がらないことが多いような気がします。
ただし、人それぞれ求めているものは違うわけですから、「インストにそこまで求めてなんかいねぇよ」という方もいらっしゃることは事実で、実際私自身もそういう意味で過去に失敗したケースもあります。その時はインストを受ける側だったのですが、インストをされた方が知り合いだったこともあり、必要以上に盛り上げすぎてしまって、「もっと静かにルール説明を聞きましょう」と注意されたこともありました。その結果、すぐに謝罪したのですが場が一気に重い雰囲気になってしまい、その注意をされた方にもばつが悪い思いをさせてしまった負の思い出があります。
また、実際に中身が面白い作品に関しては、「ルールの説明自体が魅力的」な部分もあって、余計な演出がかえって邪魔になることもあるでしょう。じっくりとルールの説明を受け、頭の中でこれから先起こりうる現象をイメージしながら、静かに闘志を燃やすなんてシチュエーションは確かに魅力的で、それを過剰な演出で台無しにしてしまっては元もこうもありません。
しかしながら、それでもやはり私はインストは「楽しく」あるべきだと思います。
インストラクターには、「ルールの説明」よりもなによりも、「その作品がどれだけ面白いか」をアピールして欲しいですし、参加者の皆さんにも、できれば楽しい雰囲気でゲームをスタートさせてもらいたいです。
当たり前ですが「楽しさ」の基準はまちまちですし、「楽しいインストのコツ」なんてのも上手く口で説明できるものではありませんけど(私自身インストが上手いわけではありませんしね)、少なくてもインスト役の方には「その作品の魅力を(ルール説明という作業を通じて)伝える」義務があるのではないでしょうか。
例えば、ゲームの世界設定や、目的を面白おかしく説明したり、(ボードゲーム特有の)不条理な設定に突っ込みを入れてみたり、私なんかが良くやるのは、プレイヤーが何らかのペナルティを喰らうシチュエーションなどは大げさに表現して、参加者の注意を引きつけるなんてことをしたりします。説明書を単なる「ルールブック」だとは思わず、「台本」として捉えてみると、より一層楽しいインストができるかもしれません。
あとは、コンポーネントに対するオモシロコメントをするというのも有効だと思います。美しいボードやカード、コマなどを褒めたり、コミカルなイラストには独特の突込みを入れたりとか、それだけで参加者がぐっとその作品の世界観に迫れたりすることがあります。
いずれにせよ、インストの時間はゲーム開始前の非常に重要な時間で、その中で私の過去の経験則からすれば(失敗談も含めて)、そこで楽しい雰囲気を作れるかどうかで、そのセッションが成功するかどうかが決まるといっても良い大事なイベントだと思ってます。
是非、普段インスト役を担うケースが多い方には、「ルールの中身」もさることながら、「その作品の面白さ」をいかに伝えるかに関して、可能な限り苦心していただきたいです。「インストを聞いただけで作品に興味が出た」とか、「あの人のインストの時は面白い」とまで言われれば、インストラクター冥利に尽きるというもの。その域に達するのははなはだ困難な道のりですが、「面白さを伝えようという意識を持ってインストする」かどうかの違いでも、かなりセッションに与える影響は変わってくると思います。
「楽しいインストしてますか?」
本当に、インストは奥が深いですね・・・^^;byタカハシ
※テストプレイ時のインストとかである場合は、むしろ正確にゲームの機能性や中身を確かめるという意味で、無駄な演出を省いたインストが好まれるケースもあります。このようにインストに求められるものは時と場合で色々と変化することがありますので、その中で最適項を見つけられるようになりたいものです(願望)。
ここでいう「インスト」とは「インストール」でも「インストゥルメンタル」でもなく「インストラクト」の略で、ボードゲームではセッションを始める際に「ルールの説明を行うこと」を意味します。「インスト」はセッションの導入の重要な部分であり、大抵はその作品を遊んだことのある経験者か、あるいはインスト慣れしているベテランがその任に付くケースが多いと言えます。
また、当然「ルールの説明」である以上、ここで重要視されるのは
1.正しいルールを正確に伝えること
2.それが参加者にきちんと伝わること
の2点に集約されるのは容易に想像がつくことでしょう。ただし、ここにおける方法論などはもうさんざん語りつくされてきた部分でもありますので、今回はあえてその辺には触れません。しかしながら、私は仮に上記の条件を完璧にこなすインストラクターがいたとして、はたしてそれが100点満点のインストなのかというと、必ずしもそうではないケースが結構あるのではないか?という疑問を抱いてます。
つまり何が言いたいかというと、私の中では「インスト」という行為は
「ルールを説明すること」
ではなく
「面白さを説明すること」
だと考えているわけです。
もちろん、ある種一定のルールに従った「ボードゲーム」を遊ぶわけですから、「ルールの説明」が大事ではないとは言いません。それがきちんと理解できなければまっとうなセッションが成立しない可能性だってあるわけですから、それまでの色々な方法論を駆使して、正しくルールを説明することの重要性を否定するわけではもちろんありません。
がしかし、「インストラクト」という言葉の本来の定義にしたがえば、それは単なる作品への「案内役」ではなく、「いかに参加者にその作品に興味を持ってもらえるか」を最重要の課題として認識すべきであって、いくら正確に、間違わずに、わかりやすくルールを説明したとしても、それが参加者にとって「楽しいインスト」でなければ、必ずしも満点のインストとは呼べないのではないでしょうか。
私個人も、ゲームサークルを主宰したりしている都合上、インスト役を担うケースが多いのですが、その一方で他の方のインストを受けるケースも非常に多いです。そしてその経験則からいうと、インストの段階から楽しいセッションは、ほぼ間違いなく楽しいセッションになるということ。逆にいくら上手にルールの説明をされる方でも、それが単なる事務作業的なもので、そこから作品の面白さがなかなか伝わってこないようなインストの時は、セッション自体もあまり盛り上がらないことが多いような気がします。
ただし、人それぞれ求めているものは違うわけですから、「インストにそこまで求めてなんかいねぇよ」という方もいらっしゃることは事実で、実際私自身もそういう意味で過去に失敗したケースもあります。その時はインストを受ける側だったのですが、インストをされた方が知り合いだったこともあり、必要以上に盛り上げすぎてしまって、「もっと静かにルール説明を聞きましょう」と注意されたこともありました。その結果、すぐに謝罪したのですが場が一気に重い雰囲気になってしまい、その注意をされた方にもばつが悪い思いをさせてしまった負の思い出があります。
また、実際に中身が面白い作品に関しては、「ルールの説明自体が魅力的」な部分もあって、余計な演出がかえって邪魔になることもあるでしょう。じっくりとルールの説明を受け、頭の中でこれから先起こりうる現象をイメージしながら、静かに闘志を燃やすなんてシチュエーションは確かに魅力的で、それを過剰な演出で台無しにしてしまっては元もこうもありません。
しかしながら、それでもやはり私はインストは「楽しく」あるべきだと思います。
インストラクターには、「ルールの説明」よりもなによりも、「その作品がどれだけ面白いか」をアピールして欲しいですし、参加者の皆さんにも、できれば楽しい雰囲気でゲームをスタートさせてもらいたいです。
当たり前ですが「楽しさ」の基準はまちまちですし、「楽しいインストのコツ」なんてのも上手く口で説明できるものではありませんけど(私自身インストが上手いわけではありませんしね)、少なくてもインスト役の方には「その作品の魅力を(ルール説明という作業を通じて)伝える」義務があるのではないでしょうか。
例えば、ゲームの世界設定や、目的を面白おかしく説明したり、(ボードゲーム特有の)不条理な設定に突っ込みを入れてみたり、私なんかが良くやるのは、プレイヤーが何らかのペナルティを喰らうシチュエーションなどは大げさに表現して、参加者の注意を引きつけるなんてことをしたりします。説明書を単なる「ルールブック」だとは思わず、「台本」として捉えてみると、より一層楽しいインストができるかもしれません。
あとは、コンポーネントに対するオモシロコメントをするというのも有効だと思います。美しいボードやカード、コマなどを褒めたり、コミカルなイラストには独特の突込みを入れたりとか、それだけで参加者がぐっとその作品の世界観に迫れたりすることがあります。
いずれにせよ、インストの時間はゲーム開始前の非常に重要な時間で、その中で私の過去の経験則からすれば(失敗談も含めて)、そこで楽しい雰囲気を作れるかどうかで、そのセッションが成功するかどうかが決まるといっても良い大事なイベントだと思ってます。
是非、普段インスト役を担うケースが多い方には、「ルールの中身」もさることながら、「その作品の面白さ」をいかに伝えるかに関して、可能な限り苦心していただきたいです。「インストを聞いただけで作品に興味が出た」とか、「あの人のインストの時は面白い」とまで言われれば、インストラクター冥利に尽きるというもの。その域に達するのははなはだ困難な道のりですが、「面白さを伝えようという意識を持ってインストする」かどうかの違いでも、かなりセッションに与える影響は変わってくると思います。
「楽しいインストしてますか?」
本当に、インストは奥が深いですね・・・^^;byタカハシ
※テストプレイ時のインストとかである場合は、むしろ正確にゲームの機能性や中身を確かめるという意味で、無駄な演出を省いたインストが好まれるケースもあります。このようにインストに求められるものは時と場合で色々と変化することがありますので、その中で最適項を見つけられるようになりたいものです(願望)。
先日2013年度の年間ドイツゲーム大賞が発表になりました。既に御存知の方が多いとは思いますが、今年の受賞作はA・ボザの『花火』。カードゲームとしては『ドミニオン』に続く2作目。箱のサイズとしては史上最少の「小箱サイズ」という異例の選出だっただけに、事前の予想ではなかなか挙がってこなかったタイトルだったので、受賞のアナウンスは多くのファンを驚かせたものでした。
もっとも一番驚いたのはデザイナーの
ボザ自身だったでしょうけど(笑)。
さて、ここ数年迷走が続いているとも言われている年間ドイツゲーム大賞ですが、今年の結果がやはりサプライズであったのかというと、個人的にはそれほどビックリもしてません。むしろ事前に受賞間違いなし(という噂だった)との太鼓判付きの『アウグストゥス(ノミネートの中では唯一の大箱サイズの作品)』をプレイさせていただいた際も、(う~ん、確かに悪くないけど、ちょっと大賞というにはどうなんだろ?まぁでも大箱だしなぁ・・・^^;)という感想を持っていた身としては、以前からの流れからすれば『花火』の受賞は十分あり得るケースだと思ってましたし、むしろこっちが本命じゃないかな?とすら考えておりました。
その「以前からの流れ」というのは、まぁ色々あるのですけれど、例えばシンプルな作品が好まれたり、その中で発表時から数年経った後のリメイクも十分可能性があったり(例『クアークル(2011年)』したのもあるのですけど、一番は、昔も今も「年間ボードゲーム大賞は、その時々の代表的なデザイナーを選びたがる」、もっと突っ込んでいえば「一度受賞したデザイナーにはかなりプラスの査定がある」傾向にあるという点でした。
昔なら『バルバロッサ(1988年)』からの『貴族の務め(1990年)』、『ドリュンタードリューバー(1991年)』、『カタンの開拓者(1995年)』のトイバー。『アンダーカバー(1986年)』からの『アウフ・アクセ(1987年)』、『エルグランデ(1996年)』、『ティカル(1999年)』、『トーレス(2000年)』のクラマーはまさに別格としても、ムーンやザイファルトの複数回受賞。最近ですとヴァッカリーノも『ドミニオン(2009年)』の受賞から数年後の『キングダムビルダー(2012年)』での2度目の受賞へと繋げてます。
実際今回受賞したボザも、赤ポーン(本賞)ではありませんが、2年前に新設されたばかりの黒ポーン(エキスパート部門)を『世界の七不思議』で初年度にゲットしたデザイナーということで、審査員たちの間では「彼の作品なら間違いないだろう」みたいな事前の信頼感みたいなものは少なからずあったのではないかと想像してます。
この「同一デザイナーに複数回賞を与える」という傾向。一番の理由は「単なる偶然」なのかもしれませんけど、やはりそこには「ビジネス(あるいはより多くの人への周知)という面で有利」という部分は否めないでしょう。できうるかぎり多くの方に作品を手に取って欲しい=この賞の存在を知って欲しいでしょうから、これは素晴らしい手法であるとすらいえます。
なぜなら一度作品を遊んでみて、もしその作品に興味を持ってもらえたなら、まず真っ先にカスタマーは「同じデザイナーの次(あるいは以前)の作品も面白いのかな?」という思考になるでしょうから、更なるビジネスチャンスもここで生まれてきます。まさに、同一デザイナーに賞を与えることに関しては、かなりのメリット効果があるといえるのではないでしょうか。
さて、それではここでせっかくですので、少し『花火』という作品自体についても説明させていただきたいと思います。
この作品はもともと2010年くらいに『花火&生け花』という名で、フランスの12頭のサル社という小メーカから発表されてました。当時は一部でその独特の世界観やプレイ感が話題にはなってましたが、さほど大きな盛り上がりもないまま、しかしそれ以降もメーカーが変わりながら何度かリメイクされ(その過程で『花火』が独立)、ジワリジワリと地味ながら確実にプレイ人口を増やしていった作品でもあったのです。
中身は「推理型協力ゲーム」という今までにない新しい作風で、他のプレイヤーの手札は見えるんだけど、自分の手札だけは見れないという制約の中で、上手くお互いにヒントを出し合いながら、カードを決められた順番どおりにプレイしていこうというものです。
作品の源流が同じく「推理型」の作品の歴史的名作『ドメモ』にあることは明白なのですが、あちらが「対戦形式」であるのに対して、こちらは「協力型」というのが全くの正反対・好対照の作品に仕上がってまして、そのコロンブスの卵的発想の展開が、ボザというデザイナーの素晴らしい着眼点&アイデアだったと思います。
またその難易度も、完全に勝利を目指そうと思うとなると結構なハードさで、単純に失敗も受け入れながらのワイワイプレイの楽しさもあれば、ウンウン悩みながらのガチンコの真剣勝負も楽しめるというバランスの良さは、本当に(ルールは至ってシンプルでありながらも)細かいところまで良くできた作品だと思います。
最初は「コレ親子とかでも上手く遊べんのかな?」という疑問が頭をよぎったりもしたのですが、実際にはパパとママで子供さんに多少のヒントを出してあげながら、上手くプレイできたら褒めてあげたり、また言葉にはできないコミュニケーション(捨ててはいけないカードに手をかけたら変な顔をするとかw)で盛り上がったりとか、色々なシチュエーションが想像できたので、たぶん大丈夫なんでしょう^^;
余談ですが、この作品では厳密なルールのもと、プレイヤー間の情報の公開はかなり限定されるのですが、実際その辺をどこまで許容するかは自由に(その時の卓の面子で)決めれば良いものだと思ってます。ですから、初心者や年少のプレイヤーが入る際には、前述の親子の例みたいに通常ではありえないヒントの出し方をしても、仮にその方がゲームとして盛り上がるのであれば、まさしくそれが正解だといえるでしょう(もちろん私たちはいつもガチでプレイしますけどねw)。
最後にこの作品の唯一の問題点として挙げられるのが「カードスタンドがほぼ必須」ということです。もちろん手に持ってやれないことはありませんけど、著しくプレイアビリティが悪そうです。運良く私は先日知り合いの方から自家製のカードスタンドを譲っていただいたのですが、これがあるおかげで、一緒に遊んでいただいた方にはかなりの確率で高評価をいただけるようになりました(また同時に「この作品凄く面白くて欲しいんだけど、このカードスタンドが無いとやっぱりやだなぁ~」という意見も多くもらってます)。
一番手っ取り早いのは、カードスタンドが付属で付いてくるような作品を購入してそれを流用するパターンでしょうか。『メモワール'44』、『乗車券アジア』、『10DAYS~シリーズ』などが代表格ですね(もっと他にもたくさんあると思いますけど)。どうせならせっかく大賞を受賞したのですし、また何度もリメイクされているのですから、カードスタンド付きで(それこそ大箱でw)売り出せばよいのに・・・とすら思います^^;
ということで、色々とファンをビックリさせた『花火』の受賞アナウンスでしたけど、個人的には『クアークル(2011年)』のときよりかは何倍も好意的に受け止めています(爆)。じゃあこれが良くてなんで『6ニムト』はダメだったんだよとか、まだまだ突っ込みどころもあるかもしれませんけど(笑)、是非『花火』に関しては機会があれば遊んでみて欲しい作品です。byタカハシ
もっとも一番驚いたのはデザイナーの
ボザ自身だったでしょうけど(笑)。
さて、ここ数年迷走が続いているとも言われている年間ドイツゲーム大賞ですが、今年の結果がやはりサプライズであったのかというと、個人的にはそれほどビックリもしてません。むしろ事前に受賞間違いなし(という噂だった)との太鼓判付きの『アウグストゥス(ノミネートの中では唯一の大箱サイズの作品)』をプレイさせていただいた際も、(う~ん、確かに悪くないけど、ちょっと大賞というにはどうなんだろ?まぁでも大箱だしなぁ・・・^^;)という感想を持っていた身としては、以前からの流れからすれば『花火』の受賞は十分あり得るケースだと思ってましたし、むしろこっちが本命じゃないかな?とすら考えておりました。
その「以前からの流れ」というのは、まぁ色々あるのですけれど、例えばシンプルな作品が好まれたり、その中で発表時から数年経った後のリメイクも十分可能性があったり(例『クアークル(2011年)』したのもあるのですけど、一番は、昔も今も「年間ボードゲーム大賞は、その時々の代表的なデザイナーを選びたがる」、もっと突っ込んでいえば「一度受賞したデザイナーにはかなりプラスの査定がある」傾向にあるという点でした。
昔なら『バルバロッサ(1988年)』からの『貴族の務め(1990年)』、『ドリュンタードリューバー(1991年)』、『カタンの開拓者(1995年)』のトイバー。『アンダーカバー(1986年)』からの『アウフ・アクセ(1987年)』、『エルグランデ(1996年)』、『ティカル(1999年)』、『トーレス(2000年)』のクラマーはまさに別格としても、ムーンやザイファルトの複数回受賞。最近ですとヴァッカリーノも『ドミニオン(2009年)』の受賞から数年後の『キングダムビルダー(2012年)』での2度目の受賞へと繋げてます。
実際今回受賞したボザも、赤ポーン(本賞)ではありませんが、2年前に新設されたばかりの黒ポーン(エキスパート部門)を『世界の七不思議』で初年度にゲットしたデザイナーということで、審査員たちの間では「彼の作品なら間違いないだろう」みたいな事前の信頼感みたいなものは少なからずあったのではないかと想像してます。
この「同一デザイナーに複数回賞を与える」という傾向。一番の理由は「単なる偶然」なのかもしれませんけど、やはりそこには「ビジネス(あるいはより多くの人への周知)という面で有利」という部分は否めないでしょう。できうるかぎり多くの方に作品を手に取って欲しい=この賞の存在を知って欲しいでしょうから、これは素晴らしい手法であるとすらいえます。
なぜなら一度作品を遊んでみて、もしその作品に興味を持ってもらえたなら、まず真っ先にカスタマーは「同じデザイナーの次(あるいは以前)の作品も面白いのかな?」という思考になるでしょうから、更なるビジネスチャンスもここで生まれてきます。まさに、同一デザイナーに賞を与えることに関しては、かなりのメリット効果があるといえるのではないでしょうか。
さて、それではここでせっかくですので、少し『花火』という作品自体についても説明させていただきたいと思います。
この作品はもともと2010年くらいに『花火&生け花』という名で、フランスの12頭のサル社という小メーカから発表されてました。当時は一部でその独特の世界観やプレイ感が話題にはなってましたが、さほど大きな盛り上がりもないまま、しかしそれ以降もメーカーが変わりながら何度かリメイクされ(その過程で『花火』が独立)、ジワリジワリと地味ながら確実にプレイ人口を増やしていった作品でもあったのです。
中身は「推理型協力ゲーム」という今までにない新しい作風で、他のプレイヤーの手札は見えるんだけど、自分の手札だけは見れないという制約の中で、上手くお互いにヒントを出し合いながら、カードを決められた順番どおりにプレイしていこうというものです。
作品の源流が同じく「推理型」の作品の歴史的名作『ドメモ』にあることは明白なのですが、あちらが「対戦形式」であるのに対して、こちらは「協力型」というのが全くの正反対・好対照の作品に仕上がってまして、そのコロンブスの卵的発想の展開が、ボザというデザイナーの素晴らしい着眼点&アイデアだったと思います。
またその難易度も、完全に勝利を目指そうと思うとなると結構なハードさで、単純に失敗も受け入れながらのワイワイプレイの楽しさもあれば、ウンウン悩みながらのガチンコの真剣勝負も楽しめるというバランスの良さは、本当に(ルールは至ってシンプルでありながらも)細かいところまで良くできた作品だと思います。
最初は「コレ親子とかでも上手く遊べんのかな?」という疑問が頭をよぎったりもしたのですが、実際にはパパとママで子供さんに多少のヒントを出してあげながら、上手くプレイできたら褒めてあげたり、また言葉にはできないコミュニケーション(捨ててはいけないカードに手をかけたら変な顔をするとかw)で盛り上がったりとか、色々なシチュエーションが想像できたので、たぶん大丈夫なんでしょう^^;
余談ですが、この作品では厳密なルールのもと、プレイヤー間の情報の公開はかなり限定されるのですが、実際その辺をどこまで許容するかは自由に(その時の卓の面子で)決めれば良いものだと思ってます。ですから、初心者や年少のプレイヤーが入る際には、前述の親子の例みたいに通常ではありえないヒントの出し方をしても、仮にその方がゲームとして盛り上がるのであれば、まさしくそれが正解だといえるでしょう(もちろん私たちはいつもガチでプレイしますけどねw)。
最後にこの作品の唯一の問題点として挙げられるのが「カードスタンドがほぼ必須」ということです。もちろん手に持ってやれないことはありませんけど、著しくプレイアビリティが悪そうです。運良く私は先日知り合いの方から自家製のカードスタンドを譲っていただいたのですが、これがあるおかげで、一緒に遊んでいただいた方にはかなりの確率で高評価をいただけるようになりました(また同時に「この作品凄く面白くて欲しいんだけど、このカードスタンドが無いとやっぱりやだなぁ~」という意見も多くもらってます)。
一番手っ取り早いのは、カードスタンドが付属で付いてくるような作品を購入してそれを流用するパターンでしょうか。『メモワール'44』、『乗車券アジア』、『10DAYS~シリーズ』などが代表格ですね(もっと他にもたくさんあると思いますけど)。どうせならせっかく大賞を受賞したのですし、また何度もリメイクされているのですから、カードスタンド付きで(それこそ大箱でw)売り出せばよいのに・・・とすら思います^^;
ということで、色々とファンをビックリさせた『花火』の受賞アナウンスでしたけど、個人的には『クアークル(2011年)』のときよりかは何倍も好意的に受け止めています(爆)。じゃあこれが良くてなんで『6ニムト』はダメだったんだよとか、まだまだ突っ込みどころもあるかもしれませんけど(笑)、是非『花火』に関しては機会があれば遊んでみて欲しい作品です。byタカハシ
もうずいぶんと前にボツにしたネタを今更引っ張り出してみたシリーズ(笑)。本当であれば2010年くらいにやりたかったのですが、当時はそんなに面白くないかなと思っていたので、普通にスルーしてました。ですので今回は(も!?)あらかじめ断っておきますが、あまり面白くない内容である可能性大です^^;
最近新しいボードゲームデザイナーがどんどん出てきてて、以前よりランキングの動きが活発になってきた感のある「ボードゲームギーク」ですけど、ふと気になるのは
「今一番面白いボードゲームを作るデザイナーは誰か?」
という疑問です。
ということで、人様のランキングを使って勝手に独自の集計をしてみました。
条件は
・「ボードゲームギークの総合順位で100位以内に必ず作品がノミネートされていること」
・「少なくても5つ以上の作品を発表していること」
・「ウォーゲームは除く」
の3点です。
あとは、その5作品の平均順位の高い方を上位とみなして、TOP10デザイナーをあぶりだしてみました。
※ちなみに少しズルい気もしますが、同様のシステムやシリーズものでも集計するようにしました。リメイク作品や第2版とかも同様です。また原作が違ったり競作のものもノミネート作品に含めてます。シリーズものはそれはそれで評価の対象ということで、ね^^;
第1位:マーチン・ワレス
平均順位:38・6位 平均AV:7.82
ノミネート作品:『ブラス』、『スチーム』、『蒸気の時代』、『世界の鉄道』、『数エイカーの雪』
第2位:ブラーダ・フヴァチル
平均順位:42.4位 平均AV:7.85
ノミネート作品:『スルーザエイジ』、『メイジナイトボードゲーム』、『スペースアラート』、『ギャラクシートラッカー』、『ダンジョンロード』
第3位:コーリィ・コニーチカ
平均順位:53.4位 平均AV:7.87
ノミネート作品:『バトルスターギャラクティカ』、『ディセント』、『スターウォーズXウィングミニチュアゲーム』、『ルーンウォーズ』、『マンションオブマッドネス』
第4位:ウゼ・ローゼンベルグ
平均順位:70.8位 平均AV:7.87
ノミネート作品:『アグリコラ』、『ル・アーブル』、『祈れ働け』、『洛陽の門』、『アグリコラ対決』
第5位:ステファン・フェルド
平均順位:74位 平均AV:7.68
ノミネート作品:『ブルゴーニュ』、『トラヤヌス』、『ドラゴンイヤー』、『ノートルダム』、『マカオ』
第6位:ライナー・クニツィア
平均順位:76.4位 平均AV:7.54
ノミネート作品:『チグリスユーフラテス』、『ラー』、『サムライ』、『バトルライン』、『アメン・ラー』
第7位:クリスチャン・T・ピーターセン
平均順位:93.2位 平均AV:7.64
ノミネート作品:『七王国の玉座』、『トワイライトインペリアムⅢ』、『指輪物語対決デラックス』、『七王国の玉座Ⅱ』、『スタークラフトボードゲーム』
第8位:アラン・ムーン
平均順位:105.6 平均AV:7.52
ノミネート作品:『乗車券ノルディック』、『乗車券ヨーロッパ』、『乗車券』、『乗車券メルクリン』、『エアラインズヨーロッパ』
第9位:ヴォルフガング・クラマー
平均順位:119.4位 平均AV:7.49
ノミネート作品:『エルグランデ』、『フィレンツェの匠』、『ティカル』、『トーレス』、『マハラジャ』
第10位:リチャード・ガーフィールド
平均順位:130.2位 平均AV:7.62
ノミネート作品:『アンドロイド・ネットランナー』、『キングオブトーキョー』、『マジックザギャザリング』、『ロボラリー』、『ネットランナー』
こうしてみると、なかなかに興味深いランク表が出来ましたね。
特筆すべきはワレスとフヴァチルの2強。特にワレスは200位以内に何と10作品もランクインさせるなど、フリークからの絶大な支持を受けていることが分かります。またフヴァチルも、多種多様なシステムを考案しファミリーゲームから本格派まで。デジタルとの融合なども試みるなど意欲的な活動を示し、多くのファンから明確な支持を受けるデザイナーとなりました。
それ以外に印象的なのは、遂にフェルドがクニツィアを超えてきたこと。ガーフィールドが『ネットランナー』の好リメイクでTOP10に喰い込んできたことでしょうか。歴史に残る名デザイナーと呼ばれるクラマーやクニツィアであっても、新しい作品のノミネートがほとんど見受けられないところをみると、時代の流れの変化に付いていくのに相当苦労しているようです。
また個人的に当然ランクインするものと思っていたフリーデマン・フリーゼはランク外。同じく「ロンデルシステム」で上位に来るだろうと想像していたマーク・ゲルツも11位と惜しくもTOP10入りを逃す感じでした。やはり早々と代表作を発表したデザイナーは、その多くが「1発屋デザイナー」と化してしまう傾向にあって、連続して上位にランクインする作品をリリースするというのはやはり至難の業といえるようです。
『ドミニオン』のヴァッカリーノ、『世界の七不思議』のボザ、いずれもまだまだ上位との差は大きかったですね。あまりにも素晴らしい作品をデザインしてしまうと、その次の作品を生み出す苦悩へとつながってしまい、ファンの期待を裏切り続けることにもなってしまうのはデザイナーにしてみればあまりにも酷な状況なのですが、「期待の新人」と呼ばれるのはほんの一瞬ですから、是非次代を担うデザイナーへの成長を期待したいところです。
巨匠の駄作よりも新人の良作
この流れはもう明確に見受けられますが、先日の「○○追いの美学」ではないですけど、巨匠の作品を追う楽しみもまた魅力的なものでありますので、酷とはわかっていながらも、ファンは非情なまでに新人デザイナーに期待を寄せてしまいます。
デザイナーもデザイナーで、いつかは巨匠と呼ばれたい。自分が作り出すゲームは全て面白いんだ!という信念を持って作品作りに励むとは思うのですが、上記の流れからも、今後一人のデザイナーに与えられるチャンスはさほど多いとは思えません。
これから先、一体どんな巨匠が世に生まれてくるのか。新人デザイナーにとっては、発表のチャンスは増える一方で、生き残っていく可能性はどんどん減るというジレンマに、その頭脳1つでどう立ち向かっていくのか。過酷なサバイバル時代の到来ですね。byタカハシ
最近新しいボードゲームデザイナーがどんどん出てきてて、以前よりランキングの動きが活発になってきた感のある「ボードゲームギーク」ですけど、ふと気になるのは
「今一番面白いボードゲームを作るデザイナーは誰か?」
という疑問です。
ということで、人様のランキングを使って勝手に独自の集計をしてみました。
条件は
・「ボードゲームギークの総合順位で100位以内に必ず作品がノミネートされていること」
・「少なくても5つ以上の作品を発表していること」
・「ウォーゲームは除く」
の3点です。
あとは、その5作品の平均順位の高い方を上位とみなして、TOP10デザイナーをあぶりだしてみました。
※ちなみに少しズルい気もしますが、同様のシステムやシリーズものでも集計するようにしました。リメイク作品や第2版とかも同様です。また原作が違ったり競作のものもノミネート作品に含めてます。シリーズものはそれはそれで評価の対象ということで、ね^^;
第1位:マーチン・ワレス
平均順位:38・6位 平均AV:7.82
ノミネート作品:『ブラス』、『スチーム』、『蒸気の時代』、『世界の鉄道』、『数エイカーの雪』
第2位:ブラーダ・フヴァチル
平均順位:42.4位 平均AV:7.85
ノミネート作品:『スルーザエイジ』、『メイジナイトボードゲーム』、『スペースアラート』、『ギャラクシートラッカー』、『ダンジョンロード』
第3位:コーリィ・コニーチカ
平均順位:53.4位 平均AV:7.87
ノミネート作品:『バトルスターギャラクティカ』、『ディセント』、『スターウォーズXウィングミニチュアゲーム』、『ルーンウォーズ』、『マンションオブマッドネス』
第4位:ウゼ・ローゼンベルグ
平均順位:70.8位 平均AV:7.87
ノミネート作品:『アグリコラ』、『ル・アーブル』、『祈れ働け』、『洛陽の門』、『アグリコラ対決』
第5位:ステファン・フェルド
平均順位:74位 平均AV:7.68
ノミネート作品:『ブルゴーニュ』、『トラヤヌス』、『ドラゴンイヤー』、『ノートルダム』、『マカオ』
第6位:ライナー・クニツィア
平均順位:76.4位 平均AV:7.54
ノミネート作品:『チグリスユーフラテス』、『ラー』、『サムライ』、『バトルライン』、『アメン・ラー』
第7位:クリスチャン・T・ピーターセン
平均順位:93.2位 平均AV:7.64
ノミネート作品:『七王国の玉座』、『トワイライトインペリアムⅢ』、『指輪物語対決デラックス』、『七王国の玉座Ⅱ』、『スタークラフトボードゲーム』
第8位:アラン・ムーン
平均順位:105.6 平均AV:7.52
ノミネート作品:『乗車券ノルディック』、『乗車券ヨーロッパ』、『乗車券』、『乗車券メルクリン』、『エアラインズヨーロッパ』
第9位:ヴォルフガング・クラマー
平均順位:119.4位 平均AV:7.49
ノミネート作品:『エルグランデ』、『フィレンツェの匠』、『ティカル』、『トーレス』、『マハラジャ』
第10位:リチャード・ガーフィールド
平均順位:130.2位 平均AV:7.62
ノミネート作品:『アンドロイド・ネットランナー』、『キングオブトーキョー』、『マジックザギャザリング』、『ロボラリー』、『ネットランナー』
こうしてみると、なかなかに興味深いランク表が出来ましたね。
特筆すべきはワレスとフヴァチルの2強。特にワレスは200位以内に何と10作品もランクインさせるなど、フリークからの絶大な支持を受けていることが分かります。またフヴァチルも、多種多様なシステムを考案しファミリーゲームから本格派まで。デジタルとの融合なども試みるなど意欲的な活動を示し、多くのファンから明確な支持を受けるデザイナーとなりました。
それ以外に印象的なのは、遂にフェルドがクニツィアを超えてきたこと。ガーフィールドが『ネットランナー』の好リメイクでTOP10に喰い込んできたことでしょうか。歴史に残る名デザイナーと呼ばれるクラマーやクニツィアであっても、新しい作品のノミネートがほとんど見受けられないところをみると、時代の流れの変化に付いていくのに相当苦労しているようです。
また個人的に当然ランクインするものと思っていたフリーデマン・フリーゼはランク外。同じく「ロンデルシステム」で上位に来るだろうと想像していたマーク・ゲルツも11位と惜しくもTOP10入りを逃す感じでした。やはり早々と代表作を発表したデザイナーは、その多くが「1発屋デザイナー」と化してしまう傾向にあって、連続して上位にランクインする作品をリリースするというのはやはり至難の業といえるようです。
『ドミニオン』のヴァッカリーノ、『世界の七不思議』のボザ、いずれもまだまだ上位との差は大きかったですね。あまりにも素晴らしい作品をデザインしてしまうと、その次の作品を生み出す苦悩へとつながってしまい、ファンの期待を裏切り続けることにもなってしまうのはデザイナーにしてみればあまりにも酷な状況なのですが、「期待の新人」と呼ばれるのはほんの一瞬ですから、是非次代を担うデザイナーへの成長を期待したいところです。
巨匠の駄作よりも新人の良作
この流れはもう明確に見受けられますが、先日の「○○追いの美学」ではないですけど、巨匠の作品を追う楽しみもまた魅力的なものでありますので、酷とはわかっていながらも、ファンは非情なまでに新人デザイナーに期待を寄せてしまいます。
デザイナーもデザイナーで、いつかは巨匠と呼ばれたい。自分が作り出すゲームは全て面白いんだ!という信念を持って作品作りに励むとは思うのですが、上記の流れからも、今後一人のデザイナーに与えられるチャンスはさほど多いとは思えません。
これから先、一体どんな巨匠が世に生まれてくるのか。新人デザイナーにとっては、発表のチャンスは増える一方で、生き残っていく可能性はどんどん減るというジレンマに、その頭脳1つでどう立ち向かっていくのか。過酷なサバイバル時代の到来ですね。byタカハシ